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EVE ghost enemies 感想|burst errorを超える傑作。 ※後半はネタバレあり

https://el-dia.net/eve3/index.html

夏休み中に「EVE ghost enemies」 という作品をプレイした。

やっぱりノベルゲームいいなと久々に思えた作品だった。

 

時間ないのでもうブログは書かないと思っていたけど、せっかくなのでちょっとだけ書く。

 

※ちなみに、switchでリメイクされていた、シリーズ前作品の「EVE burst error R」と「EVE rebirth terror」はプレイ済。

 

EVE ghost enemies ネタバレなしの感想

広げた風呂敷を、終盤にかけてドラマチックに畳んでいる稀有な作品だと思った。

内容にSF的なところがあるので、細かな辻褄合わせがしやすいのかもしれないが、それにしても見事。登場人物の数は相当多いはずなのに、全員が重要人物に感じられる。

終盤の「あの人がこれでこの人があれで。なるほど!」とパズルがきれいに組みあがっていく感覚は、そう味わえるものではないと思う。

 

なんかネタバレなしだと何も言えないな…。

とりあえず、過去作を知ってて静観してる人はさっさとプレイすべきだし、ノベルゲー界隈の肌感覚では、3年に1本出ればラッキーくらいのレベルの神作品だと思う。

 

以上。

続きは、ネタバレで書こう。中身にふれずに書くのは無理だ。

 

EVE ghost enemies ネタバレありの感想

 

 

全体で一つの感想とかではないので、感じたことの塊をとりとめなく、書いていく。

 

●小次郎とまりなの視点切り替えが時系列1年ずれてるのに気が付いた瞬間震えた。気づいた瞬間に、あの金髪女性はレイスなんじゃないか、レイス死ぬんじゃないかというのが想像できて、どうなったらそういう状況にいきつくのかが知りたすぎて、答え合わせをしたすぎて、一心不乱に読んでしまった。

 

●田舎のロケーション、好き。田舎×ミステリーは、自分のなかで最強の組み合わせ。川の水が血の色に…という展開は、これだけでB級ノベルが1本作れそうなネタだけど、シナリオの歯車の一つくらいの扱い。この事実一つとっても、本作の懐の広さが感じられる。

 

●小次郎と東海林がレイスお手製のクッキーを食ってるシーンが尊い。小次郎が甘すぎて食えないって言ってるのに、東海林はおいしそうに食べているのがまたいい。シェリーの味覚がレイスと似ているのも、あとから振り返るとよくできた情緒的な伏線だ。レイスに照れている東海林は本作のハイライトだった。

 

●キャンプで星空みるシーンとか、なにげないワンシーンに思わせておいて、あとから振り返るとあああああ!ってなるこの手の演出に、個人的に弱い。アウラとフーリオもそうだし、リーサとイヴァンカもそう。プレイ途中とプレイ後で、とあるシーンに対する評価が一変するパラダイムシフトは、ノベルゲームの醍醐味だと思う。

 

●鉄野教授と穂高君のスピンオフ作品ください。森博嗣っぽい感じで。すべてがFになる的な。もう絶対面白い。東海林とシェリー、弥生でもスピンオフいけそう。こういうのが、想像できてしまうのは、それだけキャラがたっていて、キャラクター同士の人間関係も、しっかり描かれているからなんだろうなぁ。

 

●シリーズを重ねると、テキストとは関係なく、プレイヤー側の勝手な感覚として、無条件に、この人は味方と断言できる関係性ができてくるのだけど、それを見事に壊してしまったghost enemies(疑心暗鬼)というテーマ設定が秀逸。視点切り替えで情報の出し入れをコントロールできるゲーム特性が最大限に活かされていた気がする。

 

●レイス、アウラ、リーサって、序盤はめちゃめちゃ怪しんでみていたはずなのに、物語が進むにつれて気持ち的に自然に存在を受け入れてしまっていて、悔しいけど疑いの深度がぬるくなってしまった自覚がある。特に黒幕のアウラは、序盤で小次郎をひっかけて試すシーンがあって、あそこで一回あえて小さく疑わせてから、その疑いを晴らしておくことで、しばらく疑いの気持ちを抱かせにくくしているのが、いま思えばあざといなぁ。

 

●ケガをした小次郎が村で療養する1年を、要点おさえて丁寧に描いていたのが地味ながら重要なポイントだったのではないかと思う。終盤の展開に向け、読み手にレイスを生きた人間として親近感を持たせているからこそ、プレイヤーは小次郎の気持ちに寄り添える。ややもすれば、田舎の生活描写は退屈に感じてしまいがちなんだけど、まりな視点において、事前に、レイスが死ぬんじゃないか?という想像をさせられているから、緊張の糸が切れずに済むんだろうな。このあたりのバランス感覚は本当にお見事だなと。

 

●隠し要素①

一番最初に大学でパスワード入力を求められるシーンで、初見は正解できないけど、クリア後にもう一度プレイして、そのタイミングで正解のキーワードを入れると、ちょっとしたイベントが見られる。ずっと気になっていたので、すごくスッキリした。

初見プレイ時、僕はパス入力のタイミングで視点をチェンジした記憶がある。もしかしたら、もう一つの視点でプレイするとヒントがあるのかなと思って。そのときは「R、E、T、h、e」の文字列が使えるのかな、でも小文字は入力できないしな、みたいなことを考えながら、でも、いつまでも考えてても仕方ないよねと結局あきらめて先に進んだ気がする。さっさとあきらめて本当に良かった。ねばって考えてたらハマるところだった。危ない危ない。

 

●隠し要素②

クリア後に別作品の「DESIRE」が遊べる。僕は既にプレイ済だったけど、まだの人はめっちゃお得じゃないこれ。本作中で、小次郎と七瀬が島に行ったときはうれしかった。島の名前がDESIREと聞いてもしやと思って、最初の飛行機の格納庫みたいなところの背景絵で完全にそうだと確信した。せっかくなのでDESIREを最初のところだけ改めてプレイしてみたけど、グランチェスタ財団っていう名前、ちゃんとDESIREで出てたんだなぁ。完全に忘れてた。

 

しいて言うなら気になった点

●イヴァンカの動き立ち回り全般。結果的にシナリオの帳尻あわせや矛盾を吸収する役割になっていたのかもしれないが、全キャラ中、突出して造形がぼやけていたように感じる。率直に言うと、この人だけ最後まであまり魅力を感じなかった。まあ、そういう役回りのキャラなのでしょうがないのかな。

 

●Ever3の設定。軍事の素人の僕には、あまり脅威と感じられなかった。たぶん最初に出てきた高威力の爆弾がよくなかったのか。理屈では水中で威力が軽減されたってことなのだろうけど、映像がないのでそこまで肌身に実感できる怖さがなかった。あとのシナリオ展開上の処理がめんどうになるけど、港の地形が変わるくらい、小次郎の事務所が吹き飛ぶくらいであれば納得度は高かったかも。

 

●ルスヴン弾が、盗られたのが弾だけっていうのも微妙かな。製造もできるなら脅威だけど、弾が数十発盗まれただけで痕跡も残らないのであれば、正直、影響小さいよなぁと。まあ失敗できないフーリオさんが過剰に反応したのは理解できなくないが…。ぶっちゃけ銃で撃たれた経験のない僕からすると、弾がなんであろうが、銃で撃たれたら普通に死ぬ認識なんで、ルスヴン弾の特性である「二発あたったら確実に死ぬ」っていうことの特殊性が実感しづらかった。全身の血が沸騰してものすごい苦痛を味わうとか、特殊な設定があれば印象は違っていたかもしれない。比較になるけど、前作の「Lose ONE」のほうが分かりやすい怖さがあったように思う。

 

ー-

 

久しぶりに夢中で遊んで、休みがあっという間に溶けた。

本当に楽しい時間だった。

 

ノベルゲーム、またたくさんやりたいなぁ。でも時間がない。

1年に1本すらも、もう遊べない気がしている。世の学生がうらやましい。

 

そんな中で、たまたま手に取った1本が本作で幸運だった。

いつになるかわからないけど、次回作もぜひ出してほしい。楽しみにしています!

 

 

※作中に出てきた「DESIRE」本編の感想も書いてるよ

 

※こっちは菅野ひろゆきつながりで

ノベルゲームをアニメ化するのが困難な理由|アニメ版「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」感想の感想

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アニメ版「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」を見た。

あれこれと手が回らずリアルタイムでの視聴はできなかったけれど、Amazonプライムで最終話まで視聴。

 

原作が好きだったので、アニメ化されたことが純粋にうれしく、子どもの独り立ちする様を見守るがごとく、最後までニコニコうなずきながら見てしまった。

 

でも一方で、ノベルゲームをアニメ化することの困難さも感じずにはいられなかった。

 

※原作の感想については以前に書いた。PCゲーム界、往年の名作。

 

率直に言えば、アニメを見た原作ファンは、冷や水を浴びせられてしまったのではないかと思う。

 

自分で主人公を操作して、謎に立ち向かい、選択肢を選んで、何度も失敗して、ループして…。

苦労して手に入れたものほど尊いと感じてしまう人間の性が、ゲームシナリオを実際以上に素晴らしきものに感じさせていることを、僕は認めざるを得なかった。

 

亜由美さんを助けるために何度もループする場面は、アニメだとほんの数分で処理されてしまう。そこにさしたる感動も熱もない。

一方、ゲームだと亜由美さんを助けるまでには、軽く数時間はかかる。胸に抱く亜由美さんの重みまでもがテキストを通じて感じられるようだ。この差は一体…。

 

物語構造の質そのものは変わらなくても、そこに投資した時間の重み分、同様の体験であっても、アニメのほうが遥かに軽くて無価値なものに感じてしまう。そして、ゲームでの体験のほうが、遥かに尊いと感じてしまう。

ゲーム的にはOKなのだが、これはアニメ化するにはやっかいな事実だろう。

 

わかりやすく言うと、ロープウェイで山頂に行くのと、自分の足で麓から登頂するのとでは、後者の方が遥かに大きな達成感が得られるのと同じ仕組みだと思う。

 

原作のYU-NOで言えば、何度も繰り返しプレイすることは徒労だが、その苦しさが主人公への感情移入を強め、目標達成(亜由美さんを助ける、澪を助ける、など)の充実感を強めていたと言える。

 

Amazonレビューには、原作を知らない人たちの容赦ない書き込みが氾濫していた。

 

・ジオテクニクス内に簡単に潜入できすぎるのは不自然

・アナウンサー兼産業スパイという設定は無理がある

・絵里子先生の服装が変すぎる(ボディコンとかありえないw)、

・異世界にいったあとのんびり生活してるのはおかしい

などなど

 

せやな、と思った。わりとまじで。

ゲームに感動していた頃の僕は、夢でも見ていたんだろうかとすら思った。

 

こういった指摘は、原作を遊んでいたときにはほとんど気にならなかった。

ゲームの方では辻褄があっていたかと言われるとまったくそんなことはなく、やはりおかしかったのだろうけど、完全に流してしまっていた。疑いの目で読んでいなかったので、流れのなかで何となく受け入れてしまっていたのだと思う。

 

アニメは三人称視点で描かれるから、一歩引いたところから状況を眺めることになる。粗が見えやすい。ところがゲームだと、視点が一人称で自分=主人公として物語は進んでいく。

ボタンを押すことで、テキストが流れて物語は先に進む。

ところどころ選択肢を選ぶことで、さも思い通りに主人公を動かせているかのような錯覚に陥る。

 

主人公が疑問に感じなければ、自分もそっちの思考に引っ張られて疑問を感じなくなっていく。主人公の見たものしか、自分も見れなくなっていく。

どんどん視野が狭くなってくる。

やがて、プレイヤーが主人公を操作するのではなく、主人公にプレイヤーが操作され始める。

 

文章にするとなんだか気持ち悪い状況だけど、ゲームにおけるフロー状態のようなもので、こうなっているときが一番ゲームを楽しんでいるときなのかもしれない。

 

 

コミックのアニメ化は比較的上手くいきやすい。

それは、視点がどちらも三人称で描かれたものだからではないか。

 

ところがノベルゲームは、ほとんどが一人称で描かれている。

一人称を三人称に直すと、根本的に手ざわりが変わってしまい、作品性が失われてしまう。

加えてゲームには、コントローラーを通じた「操作」という能動的なステップもあり、100%受け身のアニメではその体験を再現することができない。悩ましい。

 

そういえば、以前に同じくノベルゲーム原作のアニメ「Air」の感想を書いたけれど、Airのアニメは違和感なく見れた気がする。

あれって、原作が一人称に見せかけて実は三人称として描かれた物語だからなのかもしれない…。

『You Know?』

『You Know?』

  • 発売日: 2019/04/06
  • メディア: Prime Video
 

イース9(イースIX -Monstrum NOX)ネタバレ感想|最高に面白かったけど、シナリオには一言いいたい

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イース9クリアしました。

マップや宝箱など収集系を100%にしながらのんびりプレイして45時間くらいかかりました。

セルセタとイース8の間くらいのボリュームだったと思います。

 

僕は前作のイース8から始めて、そのあと前々作のセルセタをプレイして、いまイース9を発売日に買ってプレイしていた、とそんな流れで遊んでいます。

順調に囲い込まれつつある、準ファン層という感じでしょうか。

 

基本、大満足なのですが、もちろん気になった点がないわけではないので、ポジティブ・ネガティブ両方の観点から感想を書いていければと思います。

 

イースお約束の展開からの、意外な新展開

今回は開始早々に、アドルが監獄に放り込まれてしまうという急展開。

いきなり何らかのトラブルに巻き込まれる感じが、プレイ3作目ともなると、おっ今回も来たね始まるねと、予定調和でもあり期待感もあり、という心持ちだったのですが、良い意味で期待を裏切られました。

 

まさかアドルがいきなり怪人にされるとは…。

トレードマークの赤毛が黒髪になるのも新鮮でしたね。

最初の街からほぼ出れずに物語が終わるのも斬新。

設定の作り方が毎度、巧妙です。

 

先が気になる、魅力的なストーリーは健在

序盤は、いきなり監獄送りにされ、怪人化され、アジトを作って…とせわしない展開が続き、あっという間にイース9の世界に引き込まれます。

 

中盤は、仲間になる怪人の正体が順々に明かされていき、その正体の明かし方に工夫があって楽しませてもらえます。

ミスリードを誘発させる仕立てになっているんですね。

 

たとえば、怪人の鷹の正体は、最初はシャトラール団長ではないかと疑いを持つ人は多いはずです。背教者の正体がマリウスだと思った人もいるかも。

あとアプリリスの正体はキリシャのお姉さんであるカーラなのではないかと、最初は思っていました。これはちょっとやりすぎというか、誤解させるためにわざと寄せてる感もあったかも。白猫と猛牛は分かりやすかったですね。

 

プレイアブルなキャラ(怪人)の加入自体も楽しみであるのに加えて、怪人の正体は誰なのかを頭の片隅で考えながら物語を読み解いていくのは、いつもながら止め時を見失わされました。

 

終盤の盛り上がりはいわずもがな。

グリムワルドの夜や怪人についての真相が種明かしされます。

もともとがファンタジーなので辻褄合わせはそんなに重要じゃないのですが、物語の筋が1本しっかり通っているので納得感がありました。

 

なにより、物語をけん引していた、”アドルが2人?”の演出。

最初に”もう一人のアドル”視点に切り替わったときは面食らいました。

えっ?どういうこと?と。

 

もしかして、他の怪人も同じことになっているのではないか?と、色々考えさせられる展開。何が起こっているのか分からず謎は深まるばかりで、一気に先が気になり始めました。

たしかプレイ時間が急速に増えたのも、この辺りからだったように思います。

 

ラスボスの薄さ、背景の語り不足

ここからはちょっと気になった点を。

イース好きなので、不満点を長々書いちゃいますが、基本は面白かったけど、「けど」あえて書いていると受け取っていただければ。

とても理想の高い話をします。

 

不満だったのは、ラスボス戦周りがあまり燃えないこと。

これが唯一にして最大の不満です。

 

イース8は、戦う相手がとても思い入れのあるキャラクターだったし、取り巻き連中とも過程で会話がきちんとあって、多少なりともキャラ立ちしてたので、一戦ごとに重みがあったのですが、本作はそれが皆無に近かったです。

錬金術師のゾラとは戦いもせず、ポッと出のアドルのコピーと戦ってそれがラスボスというのは、あまりに手ごたえがなさすぎました。

 

グリア王国の背景説明や街中の落書きを通じて感じろ!ってことなのかもしれませんが、過去の歴史上のことすぎて、当事者意識があまり持てないんですよね。

アプリリスと他の怪人たちとの関係が見えにくいと言いますか、設定上、今世代の怪人たちとのつながりが薄くなってしまっているせいもあるのでしょう。

 

ラスボス戦は、これまでの物語から受け取った思いをかみしめながら、こみ上げるものを感じなら戦う特別感があるはずで、それこそがRPGの醍醐味なのですが、今回は本当にそれがなかった。

 

同じシリーズだから比較しちゃっても良いと思って書きますが、イース8が良かったのは、ダーナ視点でのプレイ時間がしっかりあって、そこでの出来事とか取り巻く登場人物の心情が描かれていたことにあったのだと改めて感じます。

プレイヤーも一緒に過去を体験しているからこそ、時間軸が現在に戻った時に、時の流れの重みを、きちんと重みとして認識できるのだろうな、と。

 

今作で言えば、アプリリスがダーナ的な役割を帯びていたはずなのですが、彼女の影が致命的なまでに薄かったです。

ダーナとプレイヤーの距離は近かったけど、アプリリスとプレイヤーの距離はとても遠かった。アプリリスが、第三者的な立ち位置であり、パーティメンバーとして加入しなかったことも原因だと思います。

 

同じ仕組みでやるとイース8の焼き直しになってしまいかねないので難しいと思いますが、聖女ロスヴィータ時代の世界もプレイできて、それが現在のアプリリスにきちんとつながるような見せ方になっていると、プレイヤーの胸の内にも、万感の想いが醸成されたのではないでしょうか。

 

ボス撃破後に、グリムワルドの原因となる卵を破壊する際の演出で、ダーナらしき存在に「アドルさん」と呼びかけられて、そこで初めてウルっときちゃいそうになったのですが、これは裏を返せば、前作の存在感があまりに大きすぎて、本作が過去作を超えられなかったことを物語っているようにも思えます。あくまで個人の感想ですが。

 

最後にタラレバの話をすると、怪人たちそれぞれの500年前の過去の回想などを、要所で挟みながら、360°視点で、聖女ロスヴィータと500年前の戦争について描くことができれば、より深みのある物語展開になり、ラストの盛り上がりも高まったんじゃないかなぁ、と無責任なことを思ったりもします。

 

総評

ことシナリオの面では、前作のイース8のインパクトがあまりに強すぎました。

セルセタもプレイした感覚を鑑みると、イースの平常運転のクオリティ&ボリュームはこのくらいなのだろうと推察。

だとしたら、それはそれで良作安定で喜ばしいのですが、プレイヤーとしては、もっともっと…、と欲張ってしまいます(笑)

 

ただ、圧倒的にイース9が勝っていると感じたポイントもあります。

それは仲間たち(怪人ふくめダンデリオンの面々)の描写です。

これは完全にイース9に軍配。

 

イース8はダーナにシナリオパワーを一挙集中させていたせいか、他のキャラがほぼ空気になっていましたが、本作は非戦闘キャラも含めてダンデリオンにつどうメンバー全員に愛着がもてました。

 

キャラクターごとに背景があって、それぞれがシナリオと密接に関わっていることが要因だと思います。

さらに今回は、アクションパートでも、怪人全員をまんべんなく使いました。全員に思い入れがあったので、誰を使っても楽しかったのが影響大きいです。

なんなら一番使ってないキャラはアドルかもしれない。

 

白猫のヘブンズランや鷹のハンターグライダーなど、アクションとしての気持ちよさも、過去作より洗練されていました。広々としたマップをグライダーで滑空するのは最高に気持ち良かったです。キャラを動かすことの楽しさを存分に味わえました。

 

苦言も書きましたが、イース10が出たら確実にプレイすると思います。

今回も最高に幸せな45時間をありがとうございました。

 

⇒関連記事:「イース8」感想|シリーズものだからと敬遠するのはもったいない名作

 

<余談 好きなスキル・使用キャラ>

背教者のダスクドロップというスキルがめっちゃ好きでした。

最初はクソスキルだと思って使ってなかったのですが、大きめのモンスターに接近して連打するとえげつない破壊力になることに気づいてからは、お気に入りになりました。

フラッシュガードなどと合わせて使うと、大型のボスも一息で沈められて爽快です。

 

直感的に白猫が最強っぽいと思いつつも、他のキャラに浮気しまくり、でも最終的にはやっぱり白猫に落ち着きました。途中、一撃の威力が欲しい時期があって、猛牛を多用していたときもありました。

 

白猫については、とにかくケルべリアンバーストが有能すぎて他のスキルがいらないレベル。ラスボスの最終形態に移行するまでの間、回復材一切いらないくらいの瞬殺っぷりを発揮してくれました。

鷹のデッドリーラッシュも強いんだけど、動きが大きいぶん連打時に的を絞りにくいのが玉にキズでしたね。

 

<余談2  ロード時間長すぎ問題>

イース9の感想を見ると、ロード時間が長すぎるという書き込みを見かけました。

これ、外付けのSSDを使うと多少緩和されると思います。

ちなみに僕が使っているのはこちらです↓

オープンワールド系など、ロード時間の長いゲームをプレイする方はぜひ。

既にインストール済のゲームも移し替え可能です。

BUFFALO ポータブルSSD 日本製 PS4(メーカー動作確認済) USB3.1(Gen1) 対応 480GB SSD-PG480U3-B/NL 耐衝撃・コネクター保護機構
 
イースIX -Monstrum NOX - PS4

イースIX -Monstrum NOX - PS4

  • 出版社/メーカー: 日本ファルコム
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: Video Game
 

ASTRAL CHAIN(アストラルチェイン)ゲーム感想|ヘタレゲーマーには無理でした…

ASTRAL CHAIN(アストラル チェイン) -Switch

ASTRAL CHAIN(アストラルチェイン)というプラチナゲームズのソフトを買いました。最近だと「NieR:Automata」がヒットしたメーカーさんです。

 

僕はアクションゲームが好きなので、本作もプレイしたわけなんですが、結果、挫折してしまいました。良くできたゲームであることは間違いないけど、自分には合わなかった、という感じです。

 

以下、自分の好みと合わなかった点などつらつらと。

 

アクション以外の要素も多かった

ざっくり説明すると、主人公は特殊部隊ネウロンというのに所属しており、これが警察や自衛隊的なポジションなんですね。

 

で、その特色がステージ攻略にも発揮されており、ステージは調査パートとアクションパートに分かれています。僕がだるーってなってしまったのは、街の人に聞き込みをしたりする調査パート。これが意外と長い。

 

まぁ、たぶんこれだけなら、サクサク聞き込みを済ませればいいだけなんで、まだ頑張れたのかもなぁ。

実は理由は他にもありまして。

 

課される細かなタスクが多い

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これは「やりこみ」要素とトレードオフな部分もあることを承知で書くんだけど、僕には要素が多すぎて疲れてしまいました。

 

ステージにはS,A,B,Cなどの評価がつくようになっていて、それって戦闘の出来栄えだけじゃなくって、さきほど書いた街の人にヒアリングするパートだったり、街に散らばる汚染物質をちまちま浄化したり、空き缶を拾ってゴミ箱に捨てたり…、おつかいチックなクエストだったり…、プレイヤーの色んな行動の総合点で評価されるんですね。

 

これが本当に細かくて、よく作り込まれているんですわ。参りました。たとえば、街中に信号があって、赤で横断すると評価が下がります。街中の設備とかを攻撃して壊しても評価がさがります。あと、当然ながら間違った選択肢を選んだりしても評価が下がります。

 

中国もびっくりな監視体制で、ネウロン所属員の行動が逐一「採点」されてるわけです。未来のブラック企業の仕組みのようだw

 

たかがゲームじゃん気にすんなよアホ。という意見があろうことは百も承知だけど、採点されると良い点をとらないと居心地悪くなるのが、偏差値文化で育ってきた日本人の性じゃないですか。

 

ということで、僕にはこの仕組みがとても息苦しく感じられてしまい、アクションパート以外のところで疲弊してしまったというのが、ゲームを投げた理由の一つ目。

 

戦闘マップが変わり映えしない

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本作の戦闘の多くが、アストラル界という異次元の世界で行われるのですが、そこが画像のようなポリゴンっぽいビジュアルで、景色がずっと代わり映えしないんですね。北海道の単調な一本道で眠気が来るみたいなことで、ずっと同じ景色が続くのは退屈に感じてしまいました。

 

一般的なアクションゲームだと、地形の変化や敵の配置のバリエーションでこの単調さを紛らわしてたりするんですが、アストラルチェインの場合は、敵は幽霊みたいに突如出現するパターンが多いのでそういうこともなく…

 

取りこぼしが怖くて、アイリスを常時オンしてしまう

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これもアクションゲームではおなじみのシステム。特定のボタンを押すことで、敵の情報やアイテムの場所などが可視化されるという特殊モードですね。それを本作ではアイリスと呼んでいます。

 

似たような機能は、アサシンクリードにもあるし、トゥームレイダーにもあるし、DAYS GONEにもあるし、これがないと怖くて探索できないくらいになってしまうチート機能なわけですが、、、

 

本作の場合、最初にタスクが多いと書いたことと相まって、「見逃し」「取りこぼし」を防ごうとすると、常時アイリスをオンにしてしまいがちなんですよね。これはプレイヤースキルの問題もありますが。

 

で、アイリスをONにすると、せっかくの美麗な街の景観が楽しめなくなります。アイリスモードでのプレイヤー視界は、無機質な見た目になってしまいます。目も疲れちゃいますしね。

 

ニュータイプ向けのアクション難易度

適当にやってても、そこそこ動かせてる感はあるんだけど、これはプレイ動画見たほうが面白いタイプのゲームかも、と感じてしまいました。

 

クリア自体はは難易度調整もできますから誰にでもできると思います。

 

ただ、アクションゲームって、個人的にはクリアするというモチベーションよりも、動かしてて楽しいことが何より重要だと感じていまして。。。僕が挫折したのは、ちょっとやそっとの練習では、期待したような万能感を得られそうにないと感じたためです。

 

正直に言うと、アクションが多彩すぎて使いこなしがまったくできなかったです。僕の腕前では、オーソドックスに回避と攻撃を堅実に繰り返す安定感が勝ってしまい、チェーンアクションを生かしきれませんでした。

 

囲まれたところから華麗にチェーンアクションで一掃!みたいなことは、あんまりできそうにない感じ。

人間の反応速度よりもキャラの動きの方が速いタイプのゲームなので、プロゲーマーみたいな人が操作すると、別世界が広がりそう。

 

あと、プレイヤーとレギオンを同時に操作しないといけないので、オールドタイプのプレイヤーにはこの使いこなしが難易度高いです。レギオンを動かしながら、プレイヤーも動いて回避や攻撃をしようとすると、指の本数が足りないと感じます。

 

僕ができたのは、レギオン操作と並行して、プレイヤーをL3ボタンで移動させるところまで。回避や攻撃までは無理でした。

レギオンはこちらが操作しなくても自動で移動・攻撃を行うので、ほぼCPU扱いになっていたのはもったいなかったですね。使いこなせたら楽しいだろうと思います。

 

客観的に評価するなら確実に良作なのに、ことごとく好みと合わず…

最後に書いたアクションの難易度については、慣れの問題が大きいので、ずっとプレイしていたら慣れた可能性は大いにあります。だいたいのアクションゲームって、最初の方は操作がぎこちないもんです。

 

ただ、今回は、慣れるまで遊び続けるだけのモチベーションが維持できませんでした。上述したように、ゲームの仕組みが肌に合わなかったのが原因です。

 

サイバーパンクっぽい世界観とBGM、キャラメイクできる点など、心惹かれる部分もあっただけに、惜しくはあるんですが、プレイ時間は有限ということで、今回は勇気ある撤退を選択させていただこうと思いました。

 

でも、僕が書いたことを、「別に良いじゃん」と思う人なら、確実に楽しめるゲームだと思います。

ASTRAL CHAIN(アストラル チェイン) -Switch

ASTRAL CHAIN(アストラル チェイン) -Switch

  • 出版社/メーカー: 任天堂
  • 発売日: 2019/08/30
  • メディア: Video Game
 

映画「コンタクト」感想|SFっぽくないSF映画

映画「コンタクト」

「コンタクト」は、一言で説明すると、エリート科学者であるエリー(ジョディ・フォスター)が、宇宙人との交信を試みる、という内容の映画です。

 

ネタバレ前提の感想なので、これから視聴する方はご注意ください。というか説明を端折って書いているので、観てない人は読んでも意味が分からないかも…。

 

SFと思いきや、実はそうではないかもしれない

「コンタクト」は1997年の古い作品です。

SF系の作品を探していたら、たまたま見つけて、面白そうだったので視聴してみました。

 

視聴前の期待感としては、「メッセージ」という宇宙人と交信する映画があって、それが割と好きだったので、それに近いものを期待して視聴しました。

メッセージ (字幕版)

メッセージ (字幕版)

  • 発売日: 2017/07/21
  • メディア: Prime Video
 

 

結論から言うと、「コンタクト」は、SFのようで、実はSFではないかもしれないと感じた映画でした。メッセージとはまったく異なるタイプの作品です。

 

むしろSFと信仰(非科学的なもの)とを対比させたかった作品なのではないかと、そんなことを感じました。

 

実は、エリーの相手役として宗教家の男性、パーマー(マシュー・マコノヒー)が登場したとき、最初は、なんで宗教家?と、彼の存在意義がよくわかりませんでした。

 

でもそうじゃなかったんですね。

作品を通じて伝えたいことが、そこに込められていたのです。

 

「非科学的」と「科学的」の境界

エリーは科学者で、宗教のような非科学的なことは信じない人でした。

彼女は、随所でその片鱗を見せるのですが、極めつけは1回目のパイロット選定の面接の場で、パーマーに「神を信じるか」と問われて、イエスと答えなかったことです。

 

おそらく彼女は、ここでイエスと答えないと審査に悪影響を及ぼすことは察していたものの、頑固な性格ゆえ、自らの信条を偽ることはありませんでした。

 

2度目のパイロット選定で見事、被験者に選ばれたエリーは、実に奇妙な体験をします。起動した装置の力によって、エリーはワームホールを抜け、異星の地に降り立ちます。そこで父親の姿を模した地球外の存在と会話を交わすのです。

 

異星への旅は地球時間にしておよそ18時間。

衝撃と共に地面に叩きつけられたエリーは、自身が地球に戻って来たことに気が付きます。そしてどうやら、18時間経過したと思っていたのは誤りで、実際には装置の起動からわずか数秒しか経過していないことにも。

 

エリーは確かに異星を旅したはずなのに、それを証明する手段がありません。記録していたビデオにはノイズが混じり、彼女の不思議な体験を証明することはできませんでした。

彼女は自身の体験について、公の場で関係者たちから問い詰められます。

そこでの彼女の回答こそが、この映画の一番の見どころだったと、僕には思えました。

 

経験したのは確かです。証明も説明もできません。
けれど私の全存在が事実だったと告げています。
あの経験は私を変えました。
宇宙の――あの姿に――我々がいかに小さいかを教わりました。
同時に我々がいかに貴重であるかも。
我々はより大きなものの一部であり――決して孤独ではありません。
そのことを伝えたいのです。
そして――ほんの一瞬でもみんなに感じてもらいたい――
あの畏敬の念と希望とを。

 

仮に映画を見ていない人が聞いたとしても、そうとうスピリチュアルな発言に聞こえるはずです。

 

エリーは科学者です。それも一流の。

しかし、科学的に説明のできない出来事に直面したとき、それを他人に伝えようとすると、いかにも非科学的な表現にならざるを得ないのです。エリーの独白によって、その様がありありと表現されていました。

 

自身の体験について言葉を紡ぐエリーの姿は、さながら説法する宗教家のようで、科学とは何なのか、宗教とは何なのか、まったく相反すると考えていた両者が、実際には両極の関係ではないのかもしれないと示唆されているかのように感じました。

 

ノイズ混じりの、18時間の映像記録

本作には、最後に、ノイズだらけだったビデオについて新事実が発覚し、エリーの体験を裏付ける証拠が見つかる演出が用意されています。

個人的にこのオチが好きでした。

 

もしも、宇宙空間でのエリーの体験がすべてまぼろしだと解釈せざるをえなければ、コンタクトという作品の映画体験そのものが霞んでしまったと思います。

約2時間30分もある長い映画だけに、徒労感を感じずにはいられなかったはずです。

 

しかし、そうならなかったのは、最後の最後に、エリーの映像に「18時間ぶんのノイズだらけの映像」が記録されていたことが発覚するから。

わずか数秒で18時間の録画は不可能です。

おかげで僕たちは、エリーの宇宙旅行は真実だったのだと信じることができます。

 

この事実は、エリーの主張を信じたかった僕にとって、何よりの福音でした。

 

余談ですが、作中でのオッカムの剃刀という言葉の使われ方に違和感を覚えました。本来は、同じことを説明(証明)できるならシンプルなほうが良い、といった解釈のほうが近いと思うのですが、作中では、「単純な説明ほど正しいものである」と解釈されており、それは全然違うだろうと思いました。

コンタクト (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

「大統領の料理人」映画メモ・考察(ネタバレあり)

大統領の料理人 オルタンス・ラボリ

Amazon Primeで偶然見つけて「大統領の料理人」というフランス映画を見ました。

いきなりネタバレで書き始めますので、これから視聴する方はご注意ください。

 

 

ある意味、フランス人にしか分からない映画

この映画。実は、最後まで見てもよく分からなかったことがありました。

それは、中盤以降、大統領専属料理人である、主人公のオルタンス・ラボリが、突如、役人から料理の経費がかかりすぎていることを指摘され始め、さらには料理の栄養バランスについても小うるさく言われ始めたことについてです。

 

見ている間は、むりやり困難な展開を演出しているようにしか見えませんでした。なにせ、なぜ経費のことをいきなり言いだすのか、いまさら栄養バランスのことを口うるさく言い始めるのか、背景の説明が一切されないんですよね。

 

あとから調べて、事情を推察できた今となっては、この説明をろくにされない所が、いかにも雇われの宮廷料理人ぽくもあり、リアリティすら感じるのですが、リアルタイムで見ていたときには、すごく分かり辛かったです。

 

「大統領の料理人」は、実話をもとにした映画

「大統領の料理人」は、そもそも実話をもとにした映画でした。

調べてあとから知りました。

 

Amazonに書かれているあらすじだけ見て視聴したこともあり、そこのところの事情をまったく知らずに視聴していました。もし実話だと知っていれば、初見の印象は随分変わっただろうと思います。

 

で、話を疑問に思った点(経費のことや健康面のことですね)に戻しますが、当時の時代背景などをWikiで調べてみると、そういうことなのかなぁ、と思い当たるようなことが出てきました。

 

こちらです↓

1982年には、インフレの進行、失業者の増加に直面した(=ミッテラン・ショック)。賃金を凍結し、公共支出を削減するなど緊縮財政を取り、――
Wiki参照

 

大統領就任の翌年くらいから、財政的に厳しくなったという事実があります。

さらに健康面についてもこんな記述がWikiにはありました。

 

主治医だったクロード・ガブラー(フランス語版)医学博士は、ミッテランの死後に、"Le grand secret(フランス語版)"(重大な秘密)という題名の著書を発表し、ミッテランは1981年~1995年の任期の大部分を前立腺癌の治療を続けながら大統領職を務め、――
Wiki参照

 

映画を見ていたときには、
(ラボリの活躍を疎ましく思う主厨房のシェフたちによる妨害工作の一環なのか? いやしかし、料理人にここまでの権限はないよなぁ…)

 

と、モヤモヤしていたのですが、これはフランス映画で、フランスの政権のことは、そもそも視聴者がそれなりに知っている前提で作られていることを鑑みると、初見で感じた違和感にも納得がいきました。

 

大統領が望み、ラボリが理想としていた、フランス伝統の素朴な「美食」は、時世にそぐわなかったということなのでしょうね。

 

実話ならではの割り切れなさ、その余韻

さらに、スッキリしない結末も、これが実話であることを考えれば納得です。

ハリウッド映画や日本のお仕事ドラマなんかだと、イジワルしてくる主厨房のシェフをギャフンと言わせて、いかにもなハッピーエンドになってもおかしくはありません。

 

ただ、本作では、大統領が厳しい立場に立たされているラボリを気遣い、わざわざ個人的に励ましに来ていたにも関わらず、それでも彼女は職を辞する決意をします。

 

客観的に見ると、彼女は厳しい環境に耐えられず、逃げたという結論になります。

ドラマっぽくないですよね。

そしてその後1年間、南極で働くスタッフのための食事番という、宮廷料理とは対極の環境で料理人を務めるわけなんですが、創作としてはいかにも中途半端です。

 

ふつうだったら、昔、宮廷料理人をしていた凄腕のシェフが、ワケあって〇〇な環境に身をやつして、でも料理の腕はすさまじくて…、みたいな描かれ方をしそうなところを、(なんなら南極での1年間こそ、メインとして描かれても良さそうなものを、)

 

そうではなくて、南極で働く現在のラボリは、宮廷料理人だったころの自分を、良いことも辛いことも含めて、良き思い出として回想している、そしてその回想部分を、本作ではメインストーリーとして描いています。

 

しがない田舎のレストランオーナーだった自分が、一時でも大統領の料理番をして、大統領に喜んでもらえていた。そんな得難い経験を人生の栄光の1ページとして胸に秘めて、前を向いて自分の人生を歩み始める、というなんとも地に足の着いた物語の結末に、独特の余韻が残りました。

 

ドラマティックではないし、お手本になるとも良いがたい。しかし、一人の料理人の生きざまが、リアリティをもって描かれた作品でした。

 

もう一つの解釈:ラボリの才能限界説

上記は、あくまでもラボリの料理の腕前がかなり良かった前提で解釈した場合の見方になります。

 

一方で、田舎のレストランオーナーが宮廷料理人レベルの技術を出すのは困難だろう、というよりリアルな見方をするのであれば、ラボリは、せめて材料だけでも極上のものを使うことで、料理自体の完成度の低さを、言い方は悪いですが、誤魔化そうとしていたとするならば…?

 

ふくらんだ経費を指摘され、これ以上、宮廷料理人としてふるまうのは不可能、これが潮時、と判断し、辞職をしたというのは、あり得ない解釈ではありません。

そして一方で、素朴なフランスの家庭料理を望んだ大統領は、使用される食材が極上であることを心から望んでいたのだろうか? という疑問も立ち上がってきます。

 

作中で、ラボリが大統領の愛人だと揶揄されるシーンが出てくるのは、ひょっとするとあれは事実で、映画として美化されて描かれた結果、このように仕上がったのだとしても、不思議ではありません。

 

もしそうだとすれば、大統領が己の味覚のみに従って料理人を選別していたとも言い難くなりますね。

 

夜中に大統領が厨房を訪れ、ラボリがこだわりのトリュフを山盛りに使ったバゲットをワインのおつまみに提供していたシーンがあります。

下にトリュフを盛り付けたバゲットのキャプチャー(画像)も入れました。

 

大統領の料理人 トリュフ

 

この一品だけが異様に金満で、下品に見えたのは僕だけでしょうか。

供されるワインも、あえてセリフとして銘柄を説明していました。シャトー・ラヤスと言っていました。こちらも調べると、相当な銘品のようです。

 

本来の彼女の持ち味だった素朴なフレンチから遠ざかってしまったのか、料理人としての才気の枯渇感が、素材頼みの一品を作らせるに至ったのか…。

励ました大統領に対して、なにかを言おうとして言えず、言葉を飲み込んだラボリは、あのとき何を言おうとしたのでしょうか。

 

おそらく辞職することを、直接言おうとして言えなかったのだと思います。

そして辞職する本当の理由は――、最後まで語られることはありません。

 

はっきりとセリフで説明がなく、展開も流されるような結末で終わってしまうため、視聴者の想像によって、いかようにも解釈できてしまうところが、この映画の持ち味なのだと思います。

とても複雑で味わい深い、ワインのような映画でした。

「アザーライフ 永遠の一瞬」映画感想(ネタバレあり)

アザーライフ 永遠の一瞬

「アザーライフ 永遠の一瞬」の視聴メモです。

いきなりネタバレするので、未視聴の方はご注意ください。

 

あらすじ

長い時間を凝縮させ、短時間で実体験ができるようになる薬を開発したレン。ところがこの可能性を秘めた新薬の使い道について共同開発者ともめてしまい…。

 

SF好きのツボを押さえた展開

前半は、ちょっとテンポ遅めで息苦しいのですが、禁固刑1年が終わって、実は仮想現実ではなくプレハブでした、というサプライズ演出がなされるタイミングから(実際は仮想現実なんだけど)、急速に自体が進展してそこからは怒涛の解決編という感じで、あっという間でした。

 

一瞬、えっ!実はリアルなの?と思わせておいて、やっぱり仮想現実だという二重構造の演出は、観る人を引き込む重要なポイントだったと感じています。ただ、映画サイトの感想を読んでいると、ここで物語の流れを見失った人が、かなり出てしまっていたようです。

 

SFモノの作品を見慣れている人にとっては定番のやり口で、思わずニヤリとしてしまうところなのですが、見慣れない人にとっては複雑に感じられるのかもしれません。

 

レンが現実世界で、弟の意識を取り戻すことを諦めるのはなぜか?

個人的に、しっかり備忘録として書いておきたいのは、最終的に、レンが現実世界で弟の意識を取り戻すことを諦めるのはなぜか?

ということについてです。

 

レンが弟の意識を取り戻すのを諦めてしまった直接の原因は、仮想現実内で、弟に例の黒い目薬を使い、結果的に弟を死亡させてしまったことです。

 

この点について、もう少しレンの心情を掘り下げて自分なりの解釈を書いてみます。

仮想現実のなかで、レンは弟に目薬を使い、弟は一瞬意識を取り戻したかのように見えました。しかし、その直後発作を起こして死亡してしまいます。弟の亡骸とともに一夜を明かしたレンは、弟の死を受け入れます。

 

開発した目薬の失敗と弟の死について、レンが薬により疑似体験したことが、最終的にレンの決断に影響を与えていると推測できます。作中でも、疑似体験は脳にとっては、実際の体験と等しいものだと説明されていました。

 

レンは仮想現実で弟の死を経験してしまったが故に、現実世界でもう一度、薬を弟に試す動機を失ってしまったのかもしれません。レンの認識の中では、「もう終わったこと」「気持ちの整理がついたこと」になっていた可能性は十分にあります。

 

さらには、「弟が目覚めることを望んでいない、とレン自身が悟った」とも考えられます。海岸で静かにほほ笑み、自らの足で海に入っていく弟の姿は、彼の「目覚めない」「過去は変えられない」という意思を投影していたようにも受け取れます。

 

長年の悲願だったはずの、弟を救うための研究について、レンは疑似体験を経ることにより結末を悟り、現実で試したわけではないにも関わらず、納得してしまっていることには背筋が寒くなります。これはちょっとしたホラーですね。

 

疑似体験によって「失敗する機会を失う」のは、人間にとって幸福なのか不幸なのか…、どちらなのでしょうね。

そんなことを考えさせられたりもしました。

映画「ゴーン・ガール」感想

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ゴーン・ガール視聴。
2時間28分と長めの映画だけど、体感2時間以下でした。
退屈する場面が一切なかった。素晴らしい作品。

 

映画のあらすじ

『セブン』『ドラゴン・タトゥーの女』の鬼才デヴィッド・フィンチャーが描く男と女の刺激的サイコロジカル・スリラー。

あなたはこの衝撃の展開に耐えられますか!? 5回目の結婚記念日に姿を消した妻 ダイニング居間の大量の血痕 妻の日記 結婚記念日の宝探しのメッセージ。 エイミーに何が起きたのか― ※Amazonビデオより

 

で、ここからはネタバレありの感想になります。

未視聴の方はご注意ください。

 

この先どうなるのか?と思わせる展開が秀逸

突然の妻の失踪に驚き、警察に助けを求めたニック。
しかし、ニックに不利な証拠や状況が次々出てきて、彼は追い詰められてしまいます。

 

ここで妻の視点に切り替わって、実は失踪事件は妻エイミーの狂言であることが視聴者に明かされます。
映画のオチになってもおかしくないような種明かしが、序盤に来るんです。この流れが実に鮮やか。非常に早い展開で、一気に物語に引き込まれました。

 

種明かし後は、サスペンス的な状況から一転。

ニックとエイミーの、警察と弁護士とマスコミと世間までも巻き込んだ、壮大な夫婦喧嘩が始まります。

 

ニックの旗色が悪くなったかと思えば、今度は逆にニックが弁護士を味方につけて、エイミーに一矢報いるために準備を着々と進めたり。見ごたえのあるシーソーゲームで飽きません。

 

果たしてニックとエイミーどちらが勝つのか。
先が読めない手に汗握る展開を追いかけているだけで、時間があっという間に過ぎ去っていきます。

終盤にはさらにもうひと波乱あり、最後の最後までどうなるのかわからない展開であっという間の2時間超でした。

 

 

意外なオチが待っている

この映画、結末がよくある映画とは違うなと思いました。

ありがちなのは、散々悪事を働いたエイミーをこらしめて、スカッとJAPANな終わり方をすること。これが一つ目のありそうな展開。僕はこれに期待して見ていました。

 

だってニックは浮気はしたけど、そこまで悪い人間じゃありませんから。僕が男性だということもあるのかもしれませんが、僕は完全にニックびいきの目線で物語を見ていました。

 

あと、もう一つ、「もしそうだったら嫌だな」と思っていた展開もあります。
それは、エイミーがすべてを予測したうえで、弁護士や昔の元カレなどに手をまわしていて、ニックが掌の上で踊らされてしまうパターン。

 

途中までは、エイミーの鼻を明かすために着々と計画が進んでいるように見せておき、こちらがワクワクしているところを、最後の種明かしでぶち壊してくる可能性も、もしかしたらあり得るのではないかと思ってハラハラしながら見ていました。

 

結論はどちらもハズレ。
予想の斜め上をいく幕の閉じ方でした。

 

エイミーは病的なまでに「パーフェクト」な夫婦関係を取り戻したいと思っているという、なんとも狂気じみた結末。

 

マスコミ相手に、理想の夫を演じるニックが放送されているとき、エイミーが映像をくいるように見つめていたのは、自らの計画が暴かれることに対する不安などではなく、そこに理想の夫像があったからで、あの瞬間に、ニックに惚れ直していたのかもしれないと考えると、背筋がゾッとします。

 

「パーフェクト・エイミー」の逸話が、まさか最後のオチのところで効いてくるとは…。スカッとはしませんでしたが、なるほどなぁと唸りました。

 

ゴーン・ガール (字幕版)

ゴーン・ガール (字幕版)

  • 発売日: 2015/03/06
  • メディア: Prime Video
 

 

映画「Ms J」 感想・考察

MsJ

Netflixで観ました。

正式なタイトルは、「Ms J CONTEMPLATES HER CHOICE」。
訳すと「Ms Jは、自身の選択について考える」といった意味になります。
Ms Jは、主人公の女性(添付画像の女性)のことです。

 

ネットで検索しても感想を書いている人が全然いなかった(検索に出てこなかった)ので書いておきます。人気ないのでしょうか、この作品。

 

あらすじ

主人公は「ジョー・ヤン」。女性作家です。
彼女はホットトークと言うラジオ番組でパーソナリティを務めており、リスナーと電話をつなぐ生放送コーナーで、恋愛などの相談にのるのが日課でした。

 

ある日、いつものように番組内で相談を受け付けていると、謎の男から不審な相談がよせられます。相談の内容は、「売春婦と高利貸しとどちらを殺せば良いか?」というもの。

 

答えに渋るジョーでしたが、男の執拗な追求に嫌気がさして、「高利貸し」と回答。いたずらだと思われた相談内容でしたが、翌日、本当に殺人事件があり、被害者は高利貸しであったことが判明します…。

 

作品解説(ネタバレあり)

ここからネタバレなのでご注意ください。と言っても、この映画はネタバレしたところで、そこまで影響のあるような作品ではありません。

 

あらすじのように、一見するとサスペンスっぽいストーリーではありますが、実態は主人公であるジョーの内面を掘り下げていく極めて静的な映画です。

 

実は、ラジオ番組で妙な相談を持ち掛けてきた謎の男の正体は、ジョーが20歳のころに交際していた男性です。

 

当時、ジョーと男性は、デート中に交通事故を起こしており、運転していた男性は救急車を呼ぶことを提案しますが、ジョーは誰も見ていないので逃げようと提案します。

 

2人は結果的に見て見ぬふりをして逃げることにしたのですが、男性は後日逮捕されてしまい、人生がくるってしまいました。当時、男性は法学部に進学が決まっていたのですが、事故のせいで人生を棒に振ってしまったのです。

 

会話のなかで、逃げないと20年刑務所暮らしだと言っていましたから、ジョーが現在40歳くらいであることを鑑みると、本当に男性の方は逮捕され刑務所に入っていたということなのでしょうね。20年間かどうかはさておき。

 

ジョーがシングルマザーとして描かれていたので、娘はひょっとしたら、この男性との間に生まれた子供かとも思ったのですが、デート中に男性がコンドームを購入するシーンがあったことと、娘がまだ幼い(学生)であるという点から、事故から数年後に、ジョーと別の男性との間にできた子供だと推測されます。

 

そして刑務所から出所した男は、当時、逃げることを勧めたジョーに対して報復するために、満を持して彼女のラジオ番組に電話をかけてきたのでした。

 

男性からは、最終的にラジオ番組ではなく、直接、自宅の電話にも連絡が入るようになります。

 

そして、最後の質問は「娘と姪、どちらを殺すか選べ」というもの。

どちらも選べないジョーが「私を殺せ」と答えると、犯人は「窓から飛び降りる」よう指示します。そうすれば娘と姪は助けてやると。

 

解釈の難しい終わり方

最終的に、ジョーが飛び降りたのかどうかは明確に描かれません。
子どもたち2人が無事に戻ったかどうかも不明です。

 

最後に、ジョーのお姉さんが、一人で泣いているシーンが映し出されるところから察するに、ジョーは飛び降りたが、子ども2人も殺されてしまったというのが真相なのではないでしょうか。

 

この映画、時系列を入れ替える編集テクニックが多用されており、シンプルな筋書きの物語のわりに、物語の理解は難解です。

 

映画の前半から、たびたび若い男女のデート模様が要所でインサートされてきます。最初の段階では、これがジョーと犯人の昔の姿だとはわかりません。ここでまず一段階、構造としては複雑になっているわけですが、ここまではよくある演出の範囲ですよね。

 

しかしその後も、子どもが犯人に囚われてしまったあとに、草原をかける2人の様子が何度かインサートされるなど、明らかに時系列が入れ替わっていそうなシーンが何度も出てきます。

 

さらに、最後のお姉さんが悲しみにくれているシーンの後にも(ジョーや子供たちが亡くなったと思われるシーンの後にも)、シャワーを浴びた後、髪を乾かしているジョーの姿がほんの少しだけ映し出されます。
これが実に意味ありげで、本作の解釈を難しくしています。

 

時系列が入れ替わらない映画であれば解釈は簡単で、お姉さんが悲しんでいるシーンのあとに、ジョーが生きている映像。
つまり――、ジョーは飛び降りなかった。子ども2人は殺された。
と簡単に理解できます。

 

しかし、本作は時系列がたびたび入れ替えられてしまうことを考慮すると、最後に挿入された風呂上がりのジョーの様子は、冒頭の出勤前のジョーの様子を改めて見せているだけであると考えられます。

 

その根拠は、エンドロールのあとに、風呂上がりの現在のジョーの姿と対比させるかのように、20年前、デートに出かける前のジョーの身支度の様子が流されることです。

 

作者はいったい、このシーンの対比を通じて何を伝えたかったのでしょうか。。。

20年前も今も、平穏に朝の身支度をしているジョーが、そのあと外出先で、重大な「決断」をしていることを強調したかったのか…。

 

20年前 ⇒ ひき逃げを隠蔽する決断を"させて"、自分は責任から逃れる
現在 ⇒ 人殺しの決断を"させられて"、飛び降り自殺させられる

 

対比にはなっていますが…。

あと、対比と言えば、子ども二人が盗んだ財布からお金を抜き取るシーンも対比になっていました。ジョーと男性の関係が、娘と姪の関係に対応していたのは意図的なものだと思われます。

 

一点異なるのは、子どもの場合は、姪(男性側)が積極的に悪事に手を染めており、娘(女性側)は、やや消極的な立場から犯行に加担していたということです。だから何の意図がそこにあるのかと言えば、それは分からないのですが、、、

 

あえて言うなら、女の子のほうがずる賢くて忘れっぽくて、男の子のほうが、馬鹿真面目に自分のしてしまったことに向き合う、ということが語られていたように感じます。
男の子が、財布を持ち主に返そうとしていたシーンもわざわざ描かれていたことを考えると、そうなのかな、と。あくまで想像。

 

これは仮定の話ですが、犯人が、後日、ひき逃げの件を自首しているというエピソードがあれば、上記の流れでスッキリできたのですが、実際はそうではありませんでした。。。

 

全体的に説明不足に感じた作品です。
もうちょっと分かりやすくしてくれたほうが、観終わったあとにモヤモヤせずに済んだんだけどなぁ。まぁこういったモヤモヤも、映画の良さの一つではあるのですが。

 

<余談>

細かいところですが、たとえば高利貸しと売春婦が殺されるシーン一つとっても、もうちょっと分かりやすく編集できるだろうと思いました。

 

いきなり露出多めな服装の女性が、目隠しをとられて路上に放り出されるシーンが流れて、その翌日、死体が発見されるという演出がなされるのですが、女性が売春婦かどうかは状況と見た目で判断するしかなく、男性の死体が発見されるシーンも、すぐにその男性が高利貸しであるとは名言されません。

 

作り手は分かっているから良いのでしょうけど、観ている側は初見だから、すべてのシーンを覚えていられないんですよね(汗)
こういう難解な編集の映画を見ると、ハリウッド映画って、ほんと親切設計なのだと改めて感じますね。

はてな復活させました。

はてな復活させました。

けっきょく、別のところで書き始めてしまいまして…。

 

今回の件で思い知ったのは、僕にとっては、ゲームで遊んだり映画を見たりすることのなかには、その感想を書くことまで含めて楽しんでいる要素があったのだ、ということですね。

はてなProが切れたのでブログやめます。

読んでくださった皆様どうもありがとうございました。

備忘のため、コンテンツ自体ははてな版のURL上に残したままにしておきます。が、、、、独自ドメインが使えなくなったので、アクセスはほぼなくなりました。リダイレクトされないんだなぁ。

あとブログを色々書いていたことが功を奏して、いまプライベートの方ではそれなりに仕事につながっております。はてなブログには感謝です。どうもありがとうございました。では。

無能だからリストラされるのではない、と知っていればリストラ報道なんてどうでも良いと思えるはず。

富士通のリストラを引き合いに出して、リストラ酷い、そんなんじゃ少子化が一層進行するみたいな話がある。

 

どうだろう。

 

個人的にはここが転機なのではないかと思っている。

 

つまり、大手企業は大量に新卒を採用して、「大手基準では」能力がないとした人を45歳くらいでリストラする。しかし、そのリストラされた45歳くらいの人は中小企業にとっては、優秀な人材である場合もあるでしょう。

 

これまでは終身雇用で、富士通の社員は富士通1社で生涯を終える設計だったのかもしれないけど、これからは違う。

富士通で身に着けたスキルが、中小企業に広がっていくのだ。

 

リクルートではかつて30歳を過ぎれば卒業だと言われていた時期がある。

リクルートOBは、起業するなり、中小企業の参謀役として活躍するなりして、日本企業の発展に寄与してきた(もちろん、そうじゃない、しょうもない人もいるだろうけど)。

 

富士通の社員も、中小企業の偉いさんになればいいじゃない、と思う。これを機に経営者として、ベンチャー企業を立ち上げてもいい。富士通で平社員だった人でも、中小企業にいけば課長クラスにはなれるんじゃないですか。だって能力はあるんでしょ。

 

大手ってそういうことでしょう。平社員レベルでも、中小企業の課長クラスの能力を有しているから大手なんでしょう。もしそうでないとしたら、富士通という企業は実にしょうもない企業だと思うし、規模の優位性だけで勝っていた、どうせいつかは落ちぶれること確定のハッタリだけの企業だったということになる。

 

だから富士通のリストラなんて、社会的にはなんの問題もない。

むしろ、富士通のリストラは、社会全体から見れば、優秀な人材がほかの企業にシェアされるというだけの話でしかない。はず。

 

ニュースではさも耐えがたきに耐えてきた人たちが、途中で梯子をはずされたような同情的な報道のされ方をしているけれど、実態はまったくそうじゃない。

 

単に、富士通という会社の経営が下手くそすぎたために、それなりに優秀な人材をうまくマネタイズできなくなってしまい、渋々リリースするしかない、というのが実情のはず。

 

向上心がないとか、オッサンは無能というのは、経営側の甘えでしょう。何言ってんの、新卒の時には優秀な人を選んで採用してたはずでしょう。45歳なんて老化にはまだほど遠い年齢なんだから、能力が低いのは本人の問題じゃなくて、会社が活かせてないだけだと思いますよ。

 

あと、少子化うんぬんの話は、富士通レベルの所得のある人たちよりも、もっとアンダークラスの問題。多少収入が下がったとしても、それでも平均より上を維持できそうな人たちは少子化には関係ありません。

 

リストラ=窓際社員のイメージが強すぎるんじゃないかな。

無能だからリストラされるわけじゃなくて、企業が活かせないからリストラになるんです。労働者は何にも悪くない。この発想ができないこと事態が、終身雇用の呪縛に囚われていると言わざるを得ない。

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