「ありがとう」という言葉を、記号として消費する、コミュ力の高いガサツな人たち。
ありがとう!
助かるー!
サンキュー!
日常で飛び交う、こうした感謝の言葉たち。
何となく耳にしながら、ふと感じることがあります。
それは、本当に「ありがとう」と思って言っている人と、そうは思ってないけれど形だけ「ありがとう」と言っている人がいる、ということです。
あくまで主観で"そう聞こえる"の世界ですが、一度気になりだすと、その違いはあからさまです。声のトーンや抑揚、その時のしぐさや態度が、人によって全然違うんですね。
僕が不快に感じる「ありがとう」とはいったい、どんな「ありがとう」なのか、少し書いてみようと思います。
1.ありがとう、が軽い
人によって「ありがとう」を口にする頻度は違います。ビジネス書なんかだと、感謝の言葉は常に言っておいた方が良い、といったアドバイスが書かれていますが、あれって実のところどうなんでしょうか。
というのも、僕が不快に感じる「ありがとう」の一つが、頻度が多すぎるありがとう、だったりするからです。何でもかんでも、ありがとう、ありがとう、と言われると、本当にありがとうが必要な場面での「ありがとう」の値打ちが下がる感じがしますし、この人は機械的に言っているだけなんだな、という印象も受けてしまいます。
逆に上手な人のありがとうは、頻度は多くありませんが、ここ一番を絶対に外しません。受け手がありがとうを言われてもまんざらでもない状況で、必ず「ありがとう」がきます。適切なタイミングで発せられる「ありがとう」は、心地よい承認につながります。
2.ありがとう、が棒読み
意識して言っているのがバレバレ、とでも言いましょうか。この場面では感謝の言葉が必要だ、ということを計算して発言している印象を受ける人がいます。つまり、言った本人はそれほど感謝していないけれど、コミュニケーション上、ありがとうが必要っぽいので、ありがとうと言っている、と、そんな状況です。
この問題の本質は、他社に対する感謝の心の有無なのかもしれません。素敵な「ありがとう」を言える人は、いつも他人に感謝しているから、本心から自然なありがとうを言うことができます。他人への感謝がないにもかかわらず、善人を擬態する人は、そこを計算でやってしまう。その差が、受け手にとっての微妙なニュアンスの違いを生んでいるのかもしれません。
3.ありがとう、に作為がある
僕が一番不快に感じるのがこれです。自分のペースで仕事をグイグイ進める人が、相手を黙らせるために使う「ありがとう」。相手の不満を封じ込めるために「ありがとう」を悪用する人たちがいます。
「ありがとう」という言葉にはポジティブな意味合いがあるために、言われた方は反射的にポジティブな反応をしてしまいます。そこに付け込んで、強引にことを進めて、相手から不満が出そうなタイミングで、無理を聞いてくれてありがとう、と抑え込むわけです。
まったく悪意なく、偶然、このパターンになることももちろんあるのですが、僕が不快に感じるのは常習犯の場合です。おそらく、自分が優位にコミュニケーションするための、話し方のクセなのでしょうね。本人は気づいていないと思いますが。
言葉は記号
言葉ってある種の記号です。
でも、時と場合によって、
同じ言葉でも受け手の感じ方は全然違ってしまいます。
今回挙げたのは、あくまで僕から見た景色。
世の中には、言葉をより記号的に使う人々がいて、その人たちの雑なコミュニケーションを、僕は苦手に感じています。
言葉は記号でもあるけれど、言霊でもあります。
気持ちがこもっている、気持ちがこもっていない。
まったく同じ言葉でも、想いの入りようで伝わり方は変わると思います。
これ、「すいません」という言葉に置き換えて考えると、わりと共感していただけるかもしれません。オマエ、全然すいませんと思ってないだろ、という「すいません」って、聞いたことありませんかね?一度はあるんじゃないでしょうか。
この言葉の感覚って、B型が無神経とかA型が神経質とか、その類の話に近いので、どっちが正しくてどっちが間違っているわけでもないんですけどね。ただ、どちらのタイプの方もいらっしゃるので、その都度、臨機応変にやっていければいいなぁ、と。
書き始めたときから嫌な予感はしていましたが、
なんだか暗い話になってしまいました。すいません。
でも、読んでくれて、ありがとう。