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ブサイクも身体障害の一種なのだ。ルックス重視の現代では。

義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入

欠損女子とか超キメェわ

 

このへんの記事、読みました。

こんな世界があったのかと驚き。

 

でも、それ以上に感じたことがありました。

 

その前に前提として、そもそも障害とは――

 

個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。

 

ですね。

ネット辞書で調べました。

 

説明のなかには「活動に制限がある」とあります。

 

たとえば手が不自由だったり、足が不自由だったり、そういう状態のことを言うのでしょう。たしかに活動に制限がありますわな。

 

じゃあ顔面はどうでしょ。

 

顔面がいまひとつだと、一個の性としての活動に、大幅に制限がかかる気がするんですが。これは身体障害ではないのか。

 

なんでこんなことを思ったかと言うと、欠損女子がどうのという記事に出ていた女性が、可愛かったからなんですよね。そう。可愛いんですよ。

 

まじめな話、一緒に生活するとなれば、そりゃ大変なこともあろうかと思いますが、とりあえず顔は可愛いのです。可愛いと思っちゃったのです。

 

つまり性的な魅力でいえば、少なくとも僕の主観では「可愛い欠損女子>欠損してないブサイク」なのです。フェチではありません。単なる顔の話です。欠損女子が単なる女子だったとしても、可愛いと思うでしょう。

 

障害がある人に対しては、社会的な弱者であるという考え方から、生活に困らないように、充分とはいえないまでも社会的な保障が準備されています。

 

一方で、ブサイクはどうか。なんの保障もありゃしません。性的に求められないのは、手前のせいだ、努力不足だと、そういうわけです。

 

生まれながらに顔面が不自由であるにも関わらず、国は何の保障もしてくれません。誰からも愛されない人生が、果たして文化的な最低限度の生活と言えるのだろうか。国はブサイクにとても冷たい。文句があるなら韓国に行けというわけです。

 

僕の論はとても一面的で幼稚だけれど、でも幼稚だからこそ、救いがありません。

 

「乙武さんってすごいよね」「でも、あのひと手足がないよね」。こんな流れになったとき、僕は「だから?それがどうしたの?」って言える自信があります。論破できるかどうかは分からない。でも、何か言い返せると思うんです。

 

だけど「○○さんってすごいよね」「でも、あのひとブサイクだよね」。こんな風に言われてしまったら「だからどうしたの?」とは言えない。僕はたぶん黙ってしまうと思うのです。

 

いわゆる障がい者の方が楽だと言いたいのではありません。障害に等しい生き辛さを背負いながらも、障害と認められない「障害」が、あるのではないだろうかという疑問です。

 

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ブサイクより深刻な「ダサい顔」という存在。

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