選挙期間中は、人と会わないことにしている。
選挙がはじまると、いきつけのお店に行きづらくなる。
理由は公明党だ。
公明党というか創価学会だ。
いつもは気のいいマスターだが、選挙が近づくと某候補者への投票をお願いされてしまう。お願いのLINEがきたりもする。
僕はどこか特定の政党を応援しているわけではないので、マスターのお願いにのっかって公明党に投票しても別にいいと言えばいい。
でも、どうしても気持ち悪さを感じてしまい、協力する気になれずにいる。
そもそも飲食店などの店主が、特定の政権をプッシュするような話を積極的にするのは(自分の側から話すのは)、あまり良いことではないとされている。
当然、普段はマスターも政治の話など一切しないのだ。
しかし、そんな良識ある人に、公明党の〇〇さんに投票してあげてね、と非常識なお願いをさせてしまう創価学会という存在には、恐ろしさを感じずにはいられない。
選挙期間だけ別の人格が乗り移ったのかと思うほど、これまで積み重ねてきた文脈をまったく無視して公明党の応援トークをし始めるのがとても怖い。
もしも、僕が特定の候補者を応援することがあるとすれば、その人が実現しようとしている政策を素晴らしいと感じたときだろうと思う。
仮に友達に投票をお願いするとしても、ただ単に「投票お願い」とは言わないんじゃないかな。僕が逆の立場だったら、絶対納得いかないと思うから。せめて政策の説明くらいはするだろう。
というか「僕がお願いしたから投票してくれる」ことに対して、僕は違和感を感じてしまうのだろうな。もし投票してくれるにしても「お願いして⇒その相手が候補者について良いと感じて⇒投票する」。この流れであってほしいと思ってしまう。
知ってる人に勧められたので、"良いかどうかわからないけど"投票するというのが、僕には生理的に受け入れられない。
大事な決断を赤の他人に委ねることはしたくないし、決断を他人に委ねている人の価値観とも相いれないと思ってしまう。
と、ここまで書いて、右寄りな友人の顔も思い浮かんだ。
先ほど、ただ投票をお願いするだけは良くないと書いたが、政策について熱く語られるのも、それはそれで迷惑だった。むしろ投票をお願いされるよりもしんどかった。酒が非常にまずかった。
やっぱり選挙の話は家の外ではしたくないし、「もしも」とか「仮に」も考えたくない。他人に投票を勧めるのは嫌だし、そんなことを自分がやりはじめたら殺してくれと家族にはお願いしておきたい。
とにかく、これ以上、周りの人たちを嫌いになりたくないので、早く選挙期間が終わってほしい。
選挙期間は、政治に対してあからさまに無関心な人とだけ会うようにしている。