好きなことを仕事にすると、人生にレバレッジが効きすぎてやばい。
「好きなことを仕事にする」に恐怖しか感じない - あしみの 日記
好きなことを仕事にした人間の一人として、少しだけ書いてみます。
ぼくは書くのが好きです。
何かを考えて、その考えを文章化することに楽しみを感じます。
だからライターになれたことは幸運だし、毎日、朝起きて憂鬱な気分にならないのは、好きなことを仕事にできているからだと確信をもって言えます。
ただ、「好きなことを仕事にする恐怖」は理解できますし、いまでもそれを感じることがあります。過去には、好きなことを仕事にしたせいで、苦しんだ時期もあります。
では、なぜ好きなことを仕事にするのが恐ろしいのか書いてみます。
能力的に行き詰ったときの絶望が、超絶ヤバイ。
これは分かりやすいかと思います。スポーツ選手なんかまさにそうだと思いますが、好きでやっているものだから、自分に自信があります。好きで頑張るから結果もついてきます。
そして、結果が出るとさらに好きになります。好きだからさらに努力します。この好循環が「好きを仕事にする」ことの最大のメリットなわけです。
ただ、この生き方は株式投資にたとえると信用二階建て(買った株を担保にして、さらに株を買う)と同じで、行き詰ったときのしっぺ返しがとんでもないことになります。
好きなことを仕事にするのは楽しいですけど、日々、自分のスキルを高めていかなければ、その先に絶望が待っています。プロになるとはそういうことです。下手の横好きはあっても、下手のプロはないのです。自分の専門分野で他者におくれを取るのは、プロにとって辛いものです。
そして本気で取り組んでいるからこそ、上手くいかなかったときのショックは大きくなります。清原選手に限らず、芸能人やスポーツ選手が覚せい剤に手を出してしまう背景には、好きなことで結果を出せない苦悩があるんじゃないでしょうか。
もちろん、好きなことを仕事にしているので、普段は楽しんでやっていますよ。日々、こんな暗いことを考えているわけじゃありません。
ただ、好きだからこそ一層の努力をしておかなければ、あとで後悔することになるかもしれないという危機感を、頭の片隅に持っている人は多いんじゃないですかね。
おそらく、この緊張感が趣味を趣味として純粋に楽しめなくなる所以かと思います。
失業すると、趣味すら失う。
これはすべての職種に当てはまるかわかりません。ただ、ぼくの職業、ライターの場合は完全にそうです。
好きを仕事にしていると、余暇に楽しむ「趣味」も仕事に紐づくものになってしまいがちです。たとえば読書。たとえば映画鑑賞。ライターという仕事はやっかいで、だいたいのことは仕事の糧にしてしまえるんですね。
というよりも、一石二鳥になるようなものに「快」を感じてしまう回路ができてしまい、気が付けば、仕事にも生かせるような趣味ばかりになっています。どういった本を読むかという本選びすらも、無意識のうちに左右されている気がしますね。
趣味を楽しむ(快感)⇒その趣味を大好きな仕事にも活かせる(さらなる快感)
インプットしたものをアウトプットする場があることで、インプットの楽しさが倍増します。うまく回っているときは、このように前も後ろもダブルで快楽を得られて、とてつもなく気持ち良いのですが、仕事を失うと、趣味が本当にただの趣味になり下がってしまうのが恐ろしいのです。
趣味は本来、とくにそれ以外の何かの役に立つ必要なんてありません。意味がなくてもやりたいと思うから趣味なわけです。ですが、好きを仕事にして趣味と仕事の境界がない生活を続けていると、そんなふうに割り切って考えられなくなってしまいます。
これまでは読書すると読書そのものも楽しいけど、それがライター業にも生きるので一石二鳥でダブルの気持ち良さがありました。でも、仕事を失うと、ただ楽しんで終わってしまいます。一回の読書の価値が、体感的に半分に目減りするんです。
生活の濃度の低下が日常のあらゆる場面で起こってしまい、軽い鬱状態になりました。ぼくの場合は失業というより、別の職種に自らチャレンジしたのですが、それでもしんどかったですね。これまで好きだったことの大半が空しく感じられて、無気力になってしまったんです。この離脱症状が、想像絶するほどに辛かったです。
ぼくがたどり着いた現実逃避は、これまで全然見る習慣のなかったテレビドラマを観ることでした。いま大好きで観ている『相棒』に出会ったのはこのとき。毎日レンタルして帰って、夜中の3時くらいまで観ていました。
いまは遅くとも1時には寝ていることを考えると、当時どれだけ無理をしていたかがよく分かります。もちろん無理してるのは分かっていました。でも、朝になって仕事にいくのが嫌で眠れなかったんですよね…。
末期の頃は食べ歩きをして、その感想を『食べログ』に書き込んだりもしていました。どうにかして一石二鳥だったころの快楽を得ようとしていたのでしょう。食べログに書き込めば、食べる(美味しい)⇒書く(楽しい)の2回分楽しみが味わえますから。好きを仕事にしていた頃の感覚を疑似的に味わえるのが、食べロガーとしての活動だったのかもしれません。
好きなことして、お金ももらえる
元の記事には、「好きなことがお金を稼ぐ手段になってしまうのは恐い」とありました。これって、調子の良いときには「好きなことをして、しかもお金も貰える」と解釈できちゃうんですよね。
ただ、ひょっとすると、ぼくの場合は広く「書くのが好き」というだけで、好きなことをピンポイントで仕事にしていないからそう思えるのかもしれません。
たとえば、ぼくが映画ライターだったら、趣味が仕事になってしまうことを嫌だと感じた可能性はあります。
なぜなら、趣味であれば観たい映画だけを観れるから。
仕事にすると観たくない映画も観なくちゃいけません。嫌いな映画を賞賛しなければいけないかもしれません。それじゃつまらないですねぇ。
*
ぼくは一度、好きなことを仕事にしていたばかりに、どん底に落ちました。でも、考えようによっては、好きなものを職業にしていたからこそ、再起する踏ん張りが効いたとも言えます。
まぁ両方味わった身としては、好きなことを仕事にしちゃった方が、人生ダンゼン楽だとは感じました。うまくいかなかったときの反動がやばいですけどねー。