そもそも低学歴の凡人に、フェイスブックを使う資格はなかった。
若者のフェイスブック離れが進む“SNS疲れ”の深層 | データで読み解くニッポン | ダイヤモンド・オンライン
SNS疲れについての記事。
若者を中心にSNSの利用率がどんどん低下しており、その一番の原因は「他人のリア充投稿にうんざりしてしまう」とのこと。
一部の非リア充がわめいてるくらいの認識だった「SNS疲れ」が、いよいよ一般ピープルの層にまで着実に降りてきているのがよくわかります。
ところで、記事を読んで、
あー!たしかに!!
と改めて思ったのが、この一文。
そもそもフェイスブックはハーバード大学の学生交流を目的として生まれたサービスだったし、どちらかというと、我が世の春を謳歌している人のためのサービスなのでは、という気がしないでもない。
そうだ。そうだよ。
すっかり忘れてたけど、
ザッカーバーグはハーバード出身者だった。
そしてFaceBookは、元々、ハーバードの大学生たちがインナーで使っていたローカルなSNSだったのだ。
つまり、「SNS疲れ」とは、ハーバード大学に通う選ばれし者たちが使っていた高尚なツールを凡人が使うようになった結果、うまく使いこなせず勝手に息苦しさを感じているだけの現象だったのだ。これは恥ずかしすぎる。
言われてみれば頷くことばかり。
我が物顔でフェイスブックを更新している人たちは、一定以上のスペックを持つ人が多い。何不自由ない幸せな家庭を築く、ということまで含めて、社会的に一定の成功をおさめている人がほとんどだ。
ぼくのタイムラインを改めて見てみても、ハーバード大学生と比べると見劣りするかもしれないが、それなりに人生を勝ち抜いている人たちの充実した投稿が多い。
フェイスブックとは持つ者たちの社交の場であり、持たざる者に開かれたスペースではない。若者になるほどフェイスブックの利用率が低下していることは、世代間の格差を象徴しているようでもある。
フェイスブックがメールの代用品であるLINEほど普及しないのは必然。だってメール機能が公共交通機関や国産車だとすれば、フェイスブックはフェラーリとかランボルギーニだもの。
爆発的に広まったばかりに、みんながやっていて当然のような錯覚を覚えたけれど、実際は、日本の5割~6割くらいを占める下流の人たちには無用の長物だったということ。
なぜ自分が、そこまでフェイスブックに熱心になれないのか。これまでで一番しっくりくる説に出会えて、すこしスッキリした気がした。
ところで、最近流行っているインスタグラムを作ったのは、kevin systromとmike kriegerというスタンフォード大学の出身者らしいけど、こちらは純粋に一般利用を前提としたサービスとして開発されている。ツイッターも同様にウェブサービスとして企業がリリースした。
フェイスブックの起源はやっぱり特殊なのだと思う。