ブサイクより深刻な「ダサい顔」という存在。
オタクはなぜオシャレしないのか、みたいな何万回繰り返されたかも分からないような話をなにかの記事で見つけた。
ぼくは、これは美意識の問題だと思っている。
オタクはファッション云々の前に、まずその表情が一目でオタクと分かる顔をしている人が多い。
ぬぼーっとした仏頂面だったり、視線がどこを見てるか分からなかったり、逆に不自然なほどにニコニコし過ぎていたり。どこか違和感のある表情をしている。姿勢の悪い人も多い。
たまにイケメンオタクもいるけれど、そういう人は大抵どっちもいける両生類で、重症者ほどオタク顔をしている不思議。
オタク顔には、オタクファッションがよく似合う
で、話をファッションに移すと、オタク顔に一番似合うのはオタクファッションなのだとぼくは思う。
仮にオタクがファッション誌に載っているような格好をすると、服のオシャレさと顔のダサさがアンバランスで、違和感を感じてしまうのだろう。髪型だけの問題じゃないよこれは。
たしかにオタクファッションはお世辞にもオシャレとは言い難い。でも、ファッションの本質である「似合っているか?」という点においては、かなりのオタクたちが100点満点の服装をしているとは思わないだろうか。
街を歩く、仮にオタクの対極をリア充とするならば、そのリア充たちの服装をよく見て欲しい。
似合ってない人多すぎwww
自分の顔を鏡で見たことあるか?
と思うような人は案外多い。
対してオタクは、美意識が高いからこそ自分の顔によく似合うオタクファッションを好む。と言えなくもない。
それは決してオシャレではないかもしれないけれど、顔面を含めて全体の調和はとれている。彼らの服装を見ても「似合ってないwww」と思うことはない。
無意識かもしれないけれど、オタクはちゃんと自分に似合う格好をしているのだ。
ブサイクより深刻な「ダサい顔」
この世にはブサイクとは別に「デザイン的にダサい顔」というのが存在する。
これは顔立ちが整っていることとは、まったく別の問題だ。
たとえば下のフリー素材の男性。失礼ながら、典型的な「ダサい顔」である。
現実に目の前に現れたらカッコイイし、たぶん魅力的なのだと思うけれど、デザイン的にはNOと言いたい。
ぼくのデザインの腕前の問題もあるかとは思うが、何をどうレイアウトしても、この人物が浮いてしまうのである。周囲の何とも馴染まない異質な存在感を放ってしまう。
売れているモデルさんは、服や紙面などのデザインとの親和性の高いルックスをしていることが多い。これは芸能人にも感じることで、売れる人は周囲の景色との馴染みが良い顔をしている。
モデル事務所の所属タレントさん一覧を見るとよくわかる。
無名のモデルやタレントさんは、もちろん整った顔立ちをしている人ばかりではあるが、どこか違和感のある顔つきの人が多い。
もしその顔がデザインだとすれば、どこか直したくなるような収まりの悪さを感じてしまうのだ。対してテレビで活躍する人たちの顔は、芸人さんなどルックス重視ではない人たちであっても見易い。
かなり感覚的な表現だが、顔のイメージが頭にスッと入ってくる。整っている整っていない、とは別次元。違和感の有無の問題だ。
美人ではないけれど、魅力的な顔
ぼくは求人広告をつくる仕事をしている。
他のクリエイターの方はモデルさんや芸能人の写真を使うことが多いと思うけど、ぼくたちは圧倒的に一般人の写真を組み込んだ紙面デザインをすることが多い。
だからこそ切実に感じるのだけれど、仮のモデル写真を一般人に差し替えた瞬間、デザイン全体がダサくなってしまうことは、よくある。
紙面のオシャレ度合いと、その人のオシャレ度合いのバランスが崩れたせいだ。しかし同時に、差し替えたときに違和感なくハマる人も少なからずいる。別に美男美女であるとは限らない。
その人の持つ顔の雰囲気や全体の絵面がオシャレなのだ。
デザインとよく馴染むのである。
美人ではないけれど魅力的な人、というのはオシャレな顔つきをしているから魅力的なのだ。
たとえば、宮崎あおいは「いわゆる美女」ではないが、とてもファッショナブルに見える。
このファッショナブルな雰囲気があればこそ、長年、アパレルブランドのイメージキャラクターを務められているのだろう。
芸能人ほどのハードルの高さはないにせよ、一般人にもこうしたデザイン的な観点での美醜というのが確実にあり、それはモテ・非モテにも確実に影響していると感じる。
脱オタクファッションで、サイズ感とキレイ目チノパンにジャケットみたいな話がよく出るけれど、それはあくまで顔から下の問題であり、そのデザインが似合うかどうかとは、まったく別問題なのである。
ダサい顔にはオシャレな服が似合わない。
この定説を覆すのが、素人にはどうにも難しい。