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おっぱいを揉むシーンですら泣いた。|「君の名は。」の感想

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

「君の名は。」を観た。

新海誠監督の過去作も素晴らしかったが、中でも「君の名は。」がことさら話題になるのも頷ける作品だった。

事前に酒が入っていたこともあるが、正直いってボロボロ泣いた。

 

※以下ネタバレあり 

 

「君の名は。」ほど泣けるアニメ映画はない

「君の名は。」は最高の作品だった。

観る前は「感動した!」「おまえも観るべき!」とか騒いでいた連中をちょっと小ばかにしていたが、いまや号泣したという人に反論すべきことはない。スマンかった。反省してる。

 

開始して間もなく、どうやら瀧と三葉の2人が入れ替わっているらしいと理解した時点で、心がざわついた。

ラストできっと泣いてしまうフラグが、自分のなかで立ち上がったことを確信した。

 

しかし、「君の名は。」がエンタメとして優れているのは、ラストだけが感動するのではなく、富士山でいえば6合目くらいの時点から、定期的に泣きポイントが用意されている点であろう。

 

  

一つ目の泣きポイント

三葉が村祭りの日に彗星をみて、そのあとの場面で、瀧の携帯が三葉に不通になっているシーン。まもなく、三葉が彗星の落下で亡くなっていることが示唆されるのだが、その時点で、一回泣ける。

 

これが泣けるのは、自分が瀧と同じ視点で、「ま、自分宛にかけても電話つながらんわな」と思っていたところが、実は三葉が彗星落下で亡くなっていたという事実に”後から気づいてしまうどうしようもなさや無力感”が感じられるからだ。

 

 

二つ目の泣きポイント

次は瀧の記憶の中にある、大木を見つけるシーンだろう。

 

視聴する側はそれがあることは何となくそうだろうと思っているのだが、瀧の視点で大木が確認されることで、大木とともに三葉の存在までもが、やはり実在するのであると確信がもたれる点に心震える。

 

レトロなノベルゲーマーとしては、秘境の神秘的な雰囲気や未開の地に瀧が挑んでいくときの、未知が既知に置き換わっていく高揚感もよかった。

 

 

三つ目の泣きポイント

そして、瀧が口噛み酒を口にするシーンである。

あれは100%ファンタジーのノンロジカルな展開で、物語として一番ボロが出やすいシーン。視聴者の眼が涙で曇っている隙に、大仰なアニメーションで誤魔化して、次の場面につなげたのは上手かった。

 

これまでSFかどうか微妙なラインをいっていた本作が完全にSF化する瞬間でもあるのだが、(こういった展開に冷める人は一定数いると思うのだが)そんなことは、観てるぼくには気にならなかった。

 

なぜかと言えばその直後、再度、2人の体が入れ替わるからである。

これは視聴者の願望の成就だ。2人の体が入れ替わらなくなった瞬間から、観ている側は、「もう一度」「もう一度」と、それを望んでいた。

 

寝床で三葉(中身は瀧)が起き上がった瞬間、体をギュッと抱きしめる姿を見て、ロジカルな思考はショートする。その後、三葉が胸を揉みしだくギャグのようなシーンですら愛おしく感じてしまった時点で、ぼくはもう完全にやられちまっていることを自覚せざるを得なかった。

 

いわゆる泣ける作品というのは、いかにもな感動シーンだけではなく、日常を描写した何気ないシーンで心揺さぶられるところに旨味があるものだ。

 

おっぱいを揉むシーンはエロスにならないようにギャグっぽく描かれていたけれど、紛れもなくあれは瀧にとって、三葉と入れ替わったことを一番実感できる方法なのだと思えるから泣けてくる。

 

その後の、瀧がおばあちゃんに「三葉と入れ替わってるカミングアウト」する場面もいい。

 

この場面がありがたいのは、そろそろ入れ替わりの事実を誰かと共有したくてウズウズしていたというか、重すぎる事実に対して見えないストレスが視聴者にかかっていたところで、ばあちゃんに話を聞いてもらうことで、見事にガス抜きされていた点だろう。

 

これまで緊張で張りつめていた糸が、しばらくの間、解放される。この緩和が終盤に向けたいい休憩ポイントになっている。

 

 

四つ目の泣きポイント

次の泣きポイントは、冒頭でも一瞬流れた満員電車でのすれ違いのシーンだ。 

瀧が三葉に会いに行ったように、三葉も瀧に会うために東京にいっていたのだという事実に、胸が締め付けられる。

 

しかも、そのときの瀧の塩対応ぶりが、その時点での視聴者の感情から乖離している点がまた切ない。視聴者としては、三葉から声をかけられた時点で抱きしめたいくらいの衝動にかられているはずなのだが、そこで「お預け」を喰らわすところが新海誠監督の意地が悪い点だろう(誉め言葉)。

 

その直後、”かたわれどき”に2人は邂逅する。直前のお預けがいい落差になって、出会いのインパクトが増している。ここがひとつの絶頂で、しかし間もなくかたわれどきが終わり、突如2人のつながりは断絶する。

 

このバッサリとした寸止めが、次の邂逅への渇望を煽る。ラストの再開(多分、再開するだろうと思っている)に向けての視聴の強いモチベーションとなり、いっそう作品の世界に惹き込まれる。

 

 

五つ目の泣きポイント

次は三葉が転んだときに、手のひらの文字に気づいたシーンだ。

てっきり名前を書いているかと思いきや三葉の手のひらには「すきだ」と一言。

 

思わず、(それじゃ分からねーよ)と、劇中の三葉とシンクロしてしまった。もう!あいつバカだけど好き!という、ある種の惚気タイムだ。

 

彗星が墜ちるまでのタイムリミット的には緊迫感があるはずなのだが、この時点でぼくの時間感覚は崩壊しており、そんな些事はどうでもよくなっていた。思わず、瀧の想いの深さとバカさに泣き笑いしてしまった。

 

現実のぼくならば、合理的に名前を書いてしまうだろう。でも瀧は溢れる想いを止められずに、名前ではなく想いを書いてしまった。その青さが大人にはグッとくるものがある。とても美しいものを見た気にさせてくれる。

 

と同時に、自分の感性に対して、手遅れのような喪失感を感じられて絶望できるところもいい。この虚無感は、現実ではなかなか味わえない感覚だ。

 

 

六つ目の泣きポイント

いよいよオーラスだ。

奇跡的に彗星の災厄から村人たちが逃れてから、何年も経つ。

高校生の瀧は就職活動を経て社会人に。

 

いつもの何気ない退屈な日常のなかで、2人はすれ違う。

そしてお互いに相手の存在に、気づく。

 

ここからはベタだ。むしろベタでいい。最後の一言が「君の名前は」といかにもな終わり方であることも含めて、すべてがパーフェクトだった。

 

再開した2人が抱き合ったりしないところに、新海監督らしさを感じた。

 

 

ぼくは「君の名は。」のような「観る者がベタを望んでしまうレベルの、よくできたベタな作品」が好きだ。

 

だいたいこの作品は始まる前から結末が見えてる。

最後に二人は出逢うのだ。

 

そこまで分かっていながら、ぼくはその平凡でありきたりなエンディングを観たくて観たくてしょうがなくさせられてしまった。これが物語の力だろう。

 

最後の涙は感動の涙なのか、予想通り二人が再開できたことに対する安堵の涙だったのか。分からない。

 

立ち上がり帰り支度をする観客の姿に、急速に現実に引き戻された。エンドソングを聴きながら、映画についての記憶が急速に薄れていくのを感じる。

 

瀧や三葉が夢から覚めたときも、こんな気分だったのだろうか…。

 

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