ツイブロ|ゲーム感想とか色々

ゲームの感想などを書いています。

「大統領の料理人」映画メモ・考察(ネタバレあり)

大統領の料理人 オルタンス・ラボリ

Amazon Primeで偶然見つけて「大統領の料理人」というフランス映画を見ました。

いきなりネタバレで書き始めますので、これから視聴する方はご注意ください。

 

 

ある意味、フランス人にしか分からない映画

この映画。実は、最後まで見てもよく分からなかったことがありました。

それは、中盤以降、大統領専属料理人である、主人公のオルタンス・ラボリが、突如、役人から料理の経費がかかりすぎていることを指摘され始め、さらには料理の栄養バランスについても小うるさく言われ始めたことについてです。

 

見ている間は、むりやり困難な展開を演出しているようにしか見えませんでした。なにせ、なぜ経費のことをいきなり言いだすのか、いまさら栄養バランスのことを口うるさく言い始めるのか、背景の説明が一切されないんですよね。

 

あとから調べて、事情を推察できた今となっては、この説明をろくにされない所が、いかにも雇われの宮廷料理人ぽくもあり、リアリティすら感じるのですが、リアルタイムで見ていたときには、すごく分かり辛かったです。

 

「大統領の料理人」は、実話をもとにした映画

「大統領の料理人」は、そもそも実話をもとにした映画でした。

調べてあとから知りました。

 

Amazonに書かれているあらすじだけ見て視聴したこともあり、そこのところの事情をまったく知らずに視聴していました。もし実話だと知っていれば、初見の印象は随分変わっただろうと思います。

 

で、話を疑問に思った点(経費のことや健康面のことですね)に戻しますが、当時の時代背景などをWikiで調べてみると、そういうことなのかなぁ、と思い当たるようなことが出てきました。

 

こちらです↓

1982年には、インフレの進行、失業者の増加に直面した(=ミッテラン・ショック)。賃金を凍結し、公共支出を削減するなど緊縮財政を取り、――
Wiki参照

 

大統領就任の翌年くらいから、財政的に厳しくなったという事実があります。

さらに健康面についてもこんな記述がWikiにはありました。

 

主治医だったクロード・ガブラー(フランス語版)医学博士は、ミッテランの死後に、"Le grand secret(フランス語版)"(重大な秘密)という題名の著書を発表し、ミッテランは1981年~1995年の任期の大部分を前立腺癌の治療を続けながら大統領職を務め、――
Wiki参照

 

映画を見ていたときには、
(ラボリの活躍を疎ましく思う主厨房のシェフたちによる妨害工作の一環なのか? いやしかし、料理人にここまでの権限はないよなぁ…)

 

と、モヤモヤしていたのですが、これはフランス映画で、フランスの政権のことは、そもそも視聴者がそれなりに知っている前提で作られていることを鑑みると、初見で感じた違和感にも納得がいきました。

 

大統領が望み、ラボリが理想としていた、フランス伝統の素朴な「美食」は、時世にそぐわなかったということなのでしょうね。

 

実話ならではの割り切れなさ、その余韻

さらに、スッキリしない結末も、これが実話であることを考えれば納得です。

ハリウッド映画や日本のお仕事ドラマなんかだと、イジワルしてくる主厨房のシェフをギャフンと言わせて、いかにもなハッピーエンドになってもおかしくはありません。

 

ただ、本作では、大統領が厳しい立場に立たされているラボリを気遣い、わざわざ個人的に励ましに来ていたにも関わらず、それでも彼女は職を辞する決意をします。

 

客観的に見ると、彼女は厳しい環境に耐えられず、逃げたという結論になります。

ドラマっぽくないですよね。

そしてその後1年間、南極で働くスタッフのための食事番という、宮廷料理とは対極の環境で料理人を務めるわけなんですが、創作としてはいかにも中途半端です。

 

ふつうだったら、昔、宮廷料理人をしていた凄腕のシェフが、ワケあって〇〇な環境に身をやつして、でも料理の腕はすさまじくて…、みたいな描かれ方をしそうなところを、(なんなら南極での1年間こそ、メインとして描かれても良さそうなものを、)

 

そうではなくて、南極で働く現在のラボリは、宮廷料理人だったころの自分を、良いことも辛いことも含めて、良き思い出として回想している、そしてその回想部分を、本作ではメインストーリーとして描いています。

 

しがない田舎のレストランオーナーだった自分が、一時でも大統領の料理番をして、大統領に喜んでもらえていた。そんな得難い経験を人生の栄光の1ページとして胸に秘めて、前を向いて自分の人生を歩み始める、というなんとも地に足の着いた物語の結末に、独特の余韻が残りました。

 

ドラマティックではないし、お手本になるとも良いがたい。しかし、一人の料理人の生きざまが、リアリティをもって描かれた作品でした。

 

もう一つの解釈:ラボリの才能限界説

上記は、あくまでもラボリの料理の腕前がかなり良かった前提で解釈した場合の見方になります。

 

一方で、田舎のレストランオーナーが宮廷料理人レベルの技術を出すのは困難だろう、というよりリアルな見方をするのであれば、ラボリは、せめて材料だけでも極上のものを使うことで、料理自体の完成度の低さを、言い方は悪いですが、誤魔化そうとしていたとするならば…?

 

ふくらんだ経費を指摘され、これ以上、宮廷料理人としてふるまうのは不可能、これが潮時、と判断し、辞職をしたというのは、あり得ない解釈ではありません。

そして一方で、素朴なフランスの家庭料理を望んだ大統領は、使用される食材が極上であることを心から望んでいたのだろうか? という疑問も立ち上がってきます。

 

作中で、ラボリが大統領の愛人だと揶揄されるシーンが出てくるのは、ひょっとするとあれは事実で、映画として美化されて描かれた結果、このように仕上がったのだとしても、不思議ではありません。

 

もしそうだとすれば、大統領が己の味覚のみに従って料理人を選別していたとも言い難くなりますね。

 

夜中に大統領が厨房を訪れ、ラボリがこだわりのトリュフを山盛りに使ったバゲットをワインのおつまみに提供していたシーンがあります。

下にトリュフを盛り付けたバゲットのキャプチャー(画像)も入れました。

 

大統領の料理人 トリュフ

 

この一品だけが異様に金満で、下品に見えたのは僕だけでしょうか。

供されるワインも、あえてセリフとして銘柄を説明していました。シャトー・ラヤスと言っていました。こちらも調べると、相当な銘品のようです。

 

本来の彼女の持ち味だった素朴なフレンチから遠ざかってしまったのか、料理人としての才気の枯渇感が、素材頼みの一品を作らせるに至ったのか…。

励ました大統領に対して、なにかを言おうとして言えず、言葉を飲み込んだラボリは、あのとき何を言おうとしたのでしょうか。

 

おそらく辞職することを、直接言おうとして言えなかったのだと思います。

そして辞職する本当の理由は――、最後まで語られることはありません。

 

はっきりとセリフで説明がなく、展開も流されるような結末で終わってしまうため、視聴者の想像によって、いかようにも解釈できてしまうところが、この映画の持ち味なのだと思います。

とても複雑で味わい深い、ワインのような映画でした。

Copyright ©2017 ツイブロ All rights reserved.