映画「Ms J」 感想・考察
Netflixで観ました。
正式なタイトルは、「Ms J CONTEMPLATES HER CHOICE」。
訳すと「Ms Jは、自身の選択について考える」といった意味になります。
Ms Jは、主人公の女性(添付画像の女性)のことです。
ネットで検索しても感想を書いている人が全然いなかった(検索に出てこなかった)ので書いておきます。人気ないのでしょうか、この作品。
あらすじ
主人公は「ジョー・ヤン」。女性作家です。
彼女はホットトークと言うラジオ番組でパーソナリティを務めており、リスナーと電話をつなぐ生放送コーナーで、恋愛などの相談にのるのが日課でした。
ある日、いつものように番組内で相談を受け付けていると、謎の男から不審な相談がよせられます。相談の内容は、「売春婦と高利貸しとどちらを殺せば良いか?」というもの。
答えに渋るジョーでしたが、男の執拗な追求に嫌気がさして、「高利貸し」と回答。いたずらだと思われた相談内容でしたが、翌日、本当に殺人事件があり、被害者は高利貸しであったことが判明します…。
作品解説(ネタバレあり)
ここからネタバレなのでご注意ください。と言っても、この映画はネタバレしたところで、そこまで影響のあるような作品ではありません。
あらすじのように、一見するとサスペンスっぽいストーリーではありますが、実態は主人公であるジョーの内面を掘り下げていく極めて静的な映画です。
実は、ラジオ番組で妙な相談を持ち掛けてきた謎の男の正体は、ジョーが20歳のころに交際していた男性です。
当時、ジョーと男性は、デート中に交通事故を起こしており、運転していた男性は救急車を呼ぶことを提案しますが、ジョーは誰も見ていないので逃げようと提案します。
2人は結果的に見て見ぬふりをして逃げることにしたのですが、男性は後日逮捕されてしまい、人生がくるってしまいました。当時、男性は法学部に進学が決まっていたのですが、事故のせいで人生を棒に振ってしまったのです。
会話のなかで、逃げないと20年刑務所暮らしだと言っていましたから、ジョーが現在40歳くらいであることを鑑みると、本当に男性の方は逮捕され刑務所に入っていたということなのでしょうね。20年間かどうかはさておき。
ジョーがシングルマザーとして描かれていたので、娘はひょっとしたら、この男性との間に生まれた子供かとも思ったのですが、デート中に男性がコンドームを購入するシーンがあったことと、娘がまだ幼い(学生)であるという点から、事故から数年後に、ジョーと別の男性との間にできた子供だと推測されます。
そして刑務所から出所した男は、当時、逃げることを勧めたジョーに対して報復するために、満を持して彼女のラジオ番組に電話をかけてきたのでした。
男性からは、最終的にラジオ番組ではなく、直接、自宅の電話にも連絡が入るようになります。
そして、最後の質問は「娘と姪、どちらを殺すか選べ」というもの。
どちらも選べないジョーが「私を殺せ」と答えると、犯人は「窓から飛び降りる」よう指示します。そうすれば娘と姪は助けてやると。
解釈の難しい終わり方
最終的に、ジョーが飛び降りたのかどうかは明確に描かれません。
子どもたち2人が無事に戻ったかどうかも不明です。
最後に、ジョーのお姉さんが、一人で泣いているシーンが映し出されるところから察するに、ジョーは飛び降りたが、子ども2人も殺されてしまったというのが真相なのではないでしょうか。
この映画、時系列を入れ替える編集テクニックが多用されており、シンプルな筋書きの物語のわりに、物語の理解は難解です。
映画の前半から、たびたび若い男女のデート模様が要所でインサートされてきます。最初の段階では、これがジョーと犯人の昔の姿だとはわかりません。ここでまず一段階、構造としては複雑になっているわけですが、ここまではよくある演出の範囲ですよね。
しかしその後も、子どもが犯人に囚われてしまったあとに、草原をかける2人の様子が何度かインサートされるなど、明らかに時系列が入れ替わっていそうなシーンが何度も出てきます。
さらに、最後のお姉さんが悲しみにくれているシーンの後にも(ジョーや子供たちが亡くなったと思われるシーンの後にも)、シャワーを浴びた後、髪を乾かしているジョーの姿がほんの少しだけ映し出されます。
これが実に意味ありげで、本作の解釈を難しくしています。
時系列が入れ替わらない映画であれば解釈は簡単で、お姉さんが悲しんでいるシーンのあとに、ジョーが生きている映像。
つまり――、ジョーは飛び降りなかった。子ども2人は殺された。
と簡単に理解できます。
しかし、本作は時系列がたびたび入れ替えられてしまうことを考慮すると、最後に挿入された風呂上がりのジョーの様子は、冒頭の出勤前のジョーの様子を改めて見せているだけであると考えられます。
その根拠は、エンドロールのあとに、風呂上がりの現在のジョーの姿と対比させるかのように、20年前、デートに出かける前のジョーの身支度の様子が流されることです。
作者はいったい、このシーンの対比を通じて何を伝えたかったのでしょうか。。。
20年前も今も、平穏に朝の身支度をしているジョーが、そのあと外出先で、重大な「決断」をしていることを強調したかったのか…。
20年前 ⇒ ひき逃げを隠蔽する決断を"させて"、自分は責任から逃れる
現在 ⇒ 人殺しの決断を"させられて"、飛び降り自殺させられる
対比にはなっていますが…。
あと、対比と言えば、子ども二人が盗んだ財布からお金を抜き取るシーンも対比になっていました。ジョーと男性の関係が、娘と姪の関係に対応していたのは意図的なものだと思われます。
一点異なるのは、子どもの場合は、姪(男性側)が積極的に悪事に手を染めており、娘(女性側)は、やや消極的な立場から犯行に加担していたということです。だから何の意図がそこにあるのかと言えば、それは分からないのですが、、、
あえて言うなら、女の子のほうがずる賢くて忘れっぽくて、男の子のほうが、馬鹿真面目に自分のしてしまったことに向き合う、ということが語られていたように感じます。
男の子が、財布を持ち主に返そうとしていたシーンもわざわざ描かれていたことを考えると、そうなのかな、と。あくまで想像。
これは仮定の話ですが、犯人が、後日、ひき逃げの件を自首しているというエピソードがあれば、上記の流れでスッキリできたのですが、実際はそうではありませんでした。。。
全体的に説明不足に感じた作品です。
もうちょっと分かりやすくしてくれたほうが、観終わったあとにモヤモヤせずに済んだんだけどなぁ。まぁこういったモヤモヤも、映画の良さの一つではあるのですが。
<余談>
細かいところですが、たとえば高利貸しと売春婦が殺されるシーン一つとっても、もうちょっと分かりやすく編集できるだろうと思いました。
いきなり露出多めな服装の女性が、目隠しをとられて路上に放り出されるシーンが流れて、その翌日、死体が発見されるという演出がなされるのですが、女性が売春婦かどうかは状況と見た目で判断するしかなく、男性の死体が発見されるシーンも、すぐにその男性が高利貸しであるとは名言されません。
作り手は分かっているから良いのでしょうけど、観ている側は初見だから、すべてのシーンを覚えていられないんですよね(汗)
こういう難解な編集の映画を見ると、ハリウッド映画って、ほんと親切設計なのだと改めて感じますね。