知ってるかい、カラオケって歌いに行く場所じゃないんだぜ。
何度か(というか結構な回数)、イケイケな若者のカラオケにお邪魔させていただいて、カラオケの楽しみ方には色々あるんだなーと思ったので書く。
個人的にはベロベロに酔っぱらってないと無理だわーという感じ。
カラオケは、歌いにいく場所じゃない。
若い人にとってカラオケとは、ある意味でライブハウスである。
つまりミュージックに合わせて、ノリノリでアゲアゲになる場所ってことだ。古臭い表現だが、ぼくは若者たちと違って年寄りなので許してほしい。
彼らは音楽に合わせて体を動かして声を出して、日ごろのストレスを発散するのだ。
曲によってはソファの上にあがって、飛び跳ねながら大合唱する。
ぼくからすれば地獄の光景そのものでしかないのだが、でも、これってカラオケを満喫するという観点で考えれば合理的で地頭のいい考え方かもしれない。
カラオケは、歌う時間より待ち時間のほうが長かった
そうなんだよなぁ。
じっくり歌う派のぼくも、この事実は認めざるを得ない。
たとえば5人でカラオケにいくと、歌う時間を1とすれば聴いている時間は4となり、圧倒的に他の人の歌を聴いている時間のほうが長くなる。
対して、音楽に合わせて体を動かしながら盛り上がっていれば、制限時間いっぱい楽しめるからコスパがいいのだ。
他人の歌声になど、興味はない
曲にもよるが、ときにはマイクの歌声が聞こえないくらいに盛り上がる。
だがこれも、よくよく考えると理に適っているのかもしれない。
素人の上手くもなく下手でもない歌を、手拍子しながら神妙に聴き入っていた昔のカラオケの方が異常だったのだろう。平凡な歌声をかき消すくらいに全員で盛り上がれば、その単調さからは解放される。
音楽にあわせて狂喜乱舞していると、トランス状態になって非現実な高揚感を味わえるのも確かだ。この感覚は、好きか嫌いかは別にしてなかなか他にないものだ。
みんなで騒げば、歌が上手くても下手でも関係なく楽しめる。
じっくり歌う会だと、歌声に自信のないひとは気後れしてしまう。
まして音痴の人は、じっくり聞かれては気恥ずかしくてしょうがない。
みんなでバカ騒ぎすると、歌い手にスポットライトが当たらなくなるのが良いのだ。
これはカラオケの採点に夢中になる人からすれば心外かもしれないが、歌うことそれ自体への興味関心がほどほどのひとたちの集まりでは非常に有効だ。
周りが大声で盛り上がっていてくれると、少々、歌がヘタクソでも大声で気持ちよく声を出せる。それが楽しいのだ。
カラオケの採点番組
近ごろ、テレビでカラオケ採点の番組をよく見かけるが、これって若い人は観てないんだろうなぁと思いつつ、楽しみに観ている。
同じ曲でも歌い手が変わると、歌の雰囲気がガラリと変わるのが面白い。
周りに気を遣って、空気を読んだ選曲をする人も多いと聞くけれど、選曲自体にも個性が出るからこそ、本来は面白いのだ。
「この人がこのアーティストを好きだなんて、意外」
そんな発見が興味深い。
若者のカラオケの楽しみ方がノリ・盛り上がり重視に傾倒してきたことで、一部の歌うことが好きな人たちが、カラオケをカラオケとして楽しむ機会に飢えているのかもしれない。
カラオケ採点の番組が頻繁に放送されているのは、きっと視聴率がそれなりに良いということで、視聴率が良いということは、じっとカラオケに聴き入る世界観を楽しむ人が一定数いることのあらわれでもあるのだろう。