キングコング西野の事は嫌いになっても、絵本「えんとつ町のプペル」の事は嫌いにならないでください。
大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します(キンコン西野) - Spotlight (スポットライト)
キングコングの西野さんがつくった絵本が無料公開された!
の他、無料公開したときの言い分がけしからんだの何だのと、いろいろ話題になっていたので、とにかく読んでみました。
絵本なんて読むの何年ぶりやろか。
…ええ話やないですか。
めっちゃいいですやん。
絵もハイクオリティ。
スクロールしながら読みつつ、確かにこれは無料で公開するのはアリなんだろうなぁと思いました。
WEBで見て、実際に子どもに読み聞かせたいと思った親御さんの中には、買う方も多いでしょうから。
せっかく内容はいいんだから、作者のいらんことでイメージダウンしてるのが(それで結果的に売れたとしても)、もったいないなーと、かなり真剣に思いました。
作者がイメージダウンの原因になってるつながりで言うと、ゲスの極み乙女も楽曲はとっても好きでした。
と、余計な話はさておき、HPでは、絵本に対する西野さんの簡単な解説も公開されていました。
作品についてのオフィシャルな意図は、この通りです。
えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺。そして、「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。
作者の意図はこれなんですが、まぁただ、せっかくなのでぼくが初見で感じたことも書いてみようと思います。
ハロウィンの終わりが、特にグサっときた
読まれてない方のために少し書きますと、絵本の主役は「ゴミ人間」です。
「ゴミ人間」は、本当にゴミでできてるんです。
人間ではありません(画像の下に立っているのがゴミ人間)。
ただ、ゴミ人間がたまたま街にきたのがハロウィンの日で、みんなが仮装していたから、非人間であることを知られずに周囲と打ち解けることができました。
物語はそんな導入です。
しかし、ハロウィンが終わると、周りのみんなは仮装を解いて人間に戻ってしまいます。
ゴミ人間だけが人間に“戻れ”ません。
結果、ゴミ人間は孤立します。
ここからが、個人的にグサグサきた点で、
ハロウィンというのは、
みんなが遊びでやっていること、
冗談でやっていること、
ネタでやっていること、
本気じゃないこと、
演技であえてやっていること、
なわけですが、
これらが、ゴミ人間にとっては全て本物(リアル)なわけです。
みんなが裸に見えるボディスーツを着て踊っていた中で、自分一人だけが本当に全裸で踊っていたことに、後になって気づく、ということです。
イコールではないかもしれませんが、ぼくは、いっしょに仕事する相手に対して価値観の大きな隔たりを感じたときに、これに近い、道化にされたような気分になることがあります(被害妄想とも言う)。
たとえば、関わっているその他の人たちにとっては、数ある仕事のなかの1個という認識なんだけど、僕だけがその仕事にすごく思い入れを持っていたとき。
その事実に、あとになって気づいてしまったとき。
色んなことが頭を駆け巡ります。
当時、すごくいい雰囲気でやれていたと思った仕事が、実はモチベーションが全然違うなかで一人空回りしていただけだと後で分かったときの、穴に入りたさ!片思いの虚しさ!と言ったらない。
あるいは、飲み会で会社の悪口を言う空気になったときに、みんなにあわせて、あーだこーだ話していたら、後日、ぜーんぶ上の方に筒抜けになっており、くっそ貧乏クジ引かされたこととか、ね。
ハロウィンのシーンの「若干のはめられた感」には、過去の色んなトラウマがフラッシュバックさせられ、リアルゴミ人間である僕にはとってはグサグサきたのでしたとさ。
以上、かなり歪んだ「えんとつ町のプペル」の読み方でした。 おしまい。