宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞で気になっていたこと。
宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞について。
歌詞のフレーズで気になる部分があって検索してみたけど、自分の感じたのと同じことを書いている人が見当たらなかったので書いてみる。
母の日も近いので、ちょうど良い話題かもしれない。
「花束を君に」は、亡くなった母に向けて書かれた歌詞だと解釈されている
いくつか読んだが、みなさんの解釈はおおむね共通。
2013年に亡くなった、宇多田ヒカルさんの母「藤圭子さん」に向けて書かれたものだという解釈が多い。
冒頭のフレーズ、
普段からメイクしない君が薄化粧した朝
は葬儀の日、死化粧を連想させる。
サビの部分の
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
では、告別の哀しみが見事に一言で表現されている。
この辺りの解釈については、ぼくもそうだと感じる部分だ。
個人的に、気になっているフレーズ
ぼくが気になっているのは、2番の最後のところ。
花束を君に贈ろう
言いたいこと 言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
神様しか知らないまま、の部分だ。
これがぼくには、初めて聴いたときからずっと、語尾の「まま」の部分が「ママ」と呼んでいるように聞こえる。
歌詞の意味としては、当然ながら「まま」が正解。
でも、宇多田さんの歌い方も相まって、ぼくには「ママ」と亡き母に呼びかけているかのように聴こえ、このフレーズを聞くたびに心揺さぶられるのだ。
この動画で言うと2分すぎた辺り。
PVだと、歌詞に宇多田さんの表情も重なり、余計にそう聴こえる。
神様しか知らないママ。
母、藤圭子さんが宇多田さんには見せなかった一面。
藤圭子さんの死因は、飛び降り自殺だとされている。
生前、鬱病に苦しんでいたともいわれている。
「花束を君に」の歌詞には、直接的に「母」という言葉は出てこない。
歌詞に登場するのは「君」だけだ。
もし本当に、多くの人が解釈するように、この歌詞が亡き母を想像して書かれたものだとすれば、「まま」というフレーズに、特別な意味が込められていても良いのではないかと思う。
文脈としては意味が通じず破綻しているけれど、「まま」を「ママ」と読み替えることで、ぼくには歌詞の世界観がいっそう深みを帯びて感じられる。