西武・そごうの広告「女の時代なんていらない?」に込められた、本当の意味について考えました。
気になる話題があったので久々に書きます。
西武・そごうの広告が批判を受けているようです。
問題の広告はこれ。上には動画も置いています。
女性の生き辛さに言及した広告です。
ただ、顔面にパイをぶつけられた女性のビジュアルが良くも悪くもインパクトが大きくて、暴力的だといった批判を受けています。
また、
”女性とは、と大上段に構えた広告文の内容が、どこかズレているのではないか。”
”もうすでに女性の時代は来ているのに、女性の生き辛さは変わっていない。女性の時代がくれば解決すると言う問題ではないだろう”
と論じられている記事なども見かけました。
ポイントは、パイをぶつけられる女性をどう解釈するか
この広告は「パイをぶつけられた女性」をどう解釈するかによって、ネガティブ・ポジティブどちらにもなり得る広告だと感じます。
一時期、誕生日にパイをぶつけるのが流行っていましたよね。
いまもあるのかは分かりませんが。
テレビで取り上げられていたのは数年前だと記憶しています。
つまりパイをぶつけられるビジュアルは、暴力的なのではなくて、「お祝い」の象徴として描かれています。
もっと言えば、お祝いなんだけど「ありがた迷惑なお祝い」の象徴でもあるのではないでしょうか。
だとすればパイ投げはとても上手いビジュアル表現に感じます。
CM版ではたくさんのパイが女性に投げつけられます。
これは女性に対する社会からの「ピントのずれた配慮や気遣いの数々」と解釈できます。
そして、投げつけられたパイの一つは女性の顔面にヒット。
クリームをぬぐいながら女性がニヤリと強かに笑みを浮かべます。
社会からの間違った、ありがた迷惑な「女性への配慮」に対して、動じず強かにほほ笑む女性の強さが描かれているように感じます。
広告のビジュアルの女性が、女性を代表する存在として描かれるなら、パイをぶつけられることはつまり、新しい女性の時代の誕生を意味します。
よくよく読み解けば、実に新年らしく、また時代を牽引してきた百貨店の広告らしい挑戦的なメッセージがこめられた広告に見えてきます。
ただ、惰性で流れているCMを見ていたり、通りすがりにパッとポスターを見たりすると、ちょっと伝わりづらいかもしれませんね。
DODAの広告が時代錯誤なうえに、クライアントにも失礼。
さいきん、転職サイトの「DODA」の広告めっちゃ見ませんか。
テレビCMもしてますね。
僕はこの広告、めちゃくちゃ違和感があります。
給与orやりがい? 家庭orキャリア??
広告の本文の部分をご覧ください。
給与か、やりがいか。仕事か、プライベートか。
家庭か、キャリアか。安定か、挑戦か。
働き方が大きく変わる時代。
大切なことは、人それぞれ違うから。
転職の理由だって人の数だけあっていい、と思う。
「なぜそうなる」、のオンパレードだと思いませんか。
給与もやりがいもどっちも欲しいし、仕事もプライベートも充実させたいし、家庭を持ちながらキャリアも大事にしたい。
安定を捨てなくても挑戦できる環境こそが、むしろイマドキです。大手企業のなかには、そんな訴求をしている企業も多いです。
なんで全部を対立させちゃうのか。
仮にも「今よりいい会社」というならば、もっと理想を高くもって欲しいと思うのは僕だけだろうか。
実際、いまはひと昔前に両立が無理だと思われていた上記のようなことがらを、両立できる環境が増えてきているはずです。
なぜ、こんなメッセージにしたのか不思議です。
転職を煽りすぎてて、品がない
「条件は、今よりいい会社。以上。」バブルかーい(笑)
転職サイトの広告は、「現状の不満足を、転職によって改善しよう」というメッセージが主流です。マイナスの状況から、ゼロないしはプラスになろうという考え方です。
でも今回のDODAの広告は、「今よりいい会社にいこう」と転職を煽る訴求になっています。現状にそれなりに満足している層にも「もっといい会社へいこう!」というのです。求人倍率が高い、売手市場の世相を強く反映したメッセージです。
これは個人がそう思って転職活動するぶんには良いと思うのですが、企業に人材を斡旋しているDODAが大っぴらに言ってはマズイんじゃないかと思います。現状にそこまで不満がない人にも「転職を!」って呼び掛けているわけですから。
景気が良くなれば、年収UPのために、よりやりがいある仕事のために、力のある社員が転職していく。これはしょうがない流れだと思います。自然なことです。
でも、転職サービスの会社に「今よりいい会社にいこう」と広告を大々的にうたれてしまうと、これまでDODAを使って採用してきた企業側からすると、「うちの社員を扇動するなよ!」と言いたくなるのではないでしょうか。
*
DODAを運営している、パーソルグループは、以前も「はたらいて、笑おう」という広告が一部の人に大不評を買っていたようですが、
街の至る所から煽ってくるテンプホールディングスの企業広告 : 市況かぶ全力2階建
今回の広告も、エッジを効かせようとして失敗しちゃってる感、をひしひしと感じます。
広告には企業の品格が出ます。今回で言えば、根本のところで「人材」を何だと考えているか、ということです。
就活生には、こういうのも企業研究の参考にして欲しいなぁと思います。「人のためになりたいから人材業界を志望します!」なんて、キラキラした目で言うならなおさらです。
牛乳石鹸のWebムービーは、何を「さ、洗い流そ」と言いたかったのか。
牛乳石鹸のWebムービーが炎上していると聞いて、最初は無視していたけど、自分と違う解釈の人の意見がけっこう広まっているようなので。
書きます。
僕はこのムービー、炎上するような内容ではないと感じています。
それどころか映像作品として良くできているとすら思います。
まだご覧になられてない方は2分半ほどですので、ぜひ見てみてください。
以下、ムービーを見た前提でサクサク書いていきますね。
昭和な価値観のなかで育てられた、平成のパパの葛藤
主人公の「パパ」は昭和の価値観をもった家庭環境で育てられました。
過去の回想シーンでは、仕事にむかう父親の後ろ姿が象徴的に描かれます。
パパの価値観の根っこは、昭和なのです。
でも、パパは時代によりそって平成の家庭の在り方(夫のゴミ出しや仕事より家族優先の価値観)を受け入れて生きています。
携帯の待ち受けが家族写真になっていることからも、パパがママや息子のことを大好きであることが読み取れます(役者さんの淡白な演技にミスリードされそうですが…)
昭和のパパが、ときおり顔を出す
しかし、ときどき、昭和のパパがむくっと顔を出すときがあるんですね。
職場で部下が叱られているのを見つけてしまったことが、そのシーンです。
パパは分かっています。
息子の誕生日だから早く帰るべき。
でも、、、
家族思いの優しいパパ。
時代なのかもしれない。
でも、それって正しいのか。
そこでパパは、少しだけ現代の風潮に反抗してしまいます。
部下をさそって居酒屋へいってしまうのです。
居酒屋では、叱られた部下を「俺のときもそうだったよ」と失敗談を披露して励まします。
妻からの電話は悩んだ末、、、無視。
大事な話に水を差したくないのです。目の前の部下を優先することも、パパにとっての正しい行いです。
細かい演出ですが、部下には居酒屋の代金をおごっているようです。
昭和のパパが顔を出していたことが、「おごる」という行為を通じて、改めてここで表現されています。いまどきのパパなら、ワリカンもありますからね。
飲みにいく前に、妻には連絡しない
ちなみに、補足しておくと、飲みに行く前にあらかじめ妻に連絡することはしません。これはパパの心情的に自然なことでした。
理由は、いまどきの家庭優先のパパ像に対して反抗的な気持ちが半分と、もう半分は、妻に伝えたらこんな返事が返ってくることを予想しているから。
(飲みに行くのは明日でもいいじゃない。子どもの誕生日は今日だけだよ)
さて、帰宅したパパはママに怒られます。
「なんで飲んで帰ってくるかなぁ」
ムービーでは一切語られない部分ですが、あえて居酒屋にいったパパの考えはこうでしょう。
(怒られて落ち込んでいる「その日」に飲みに誘ってもらえるから嬉しいし、気持ちをリセットして翌日会社にこれるんだ)
でも、パパは言葉にはしません。
なぜかと言うと、この昭和の価値観をママは受け入れてくれないことを知っているからです。
ムービーに込められた「さ、洗い流そ」の意味
話が終わってないと言うママをおいて、風呂場に逃げ込むパパ。
※ムービーの尺の都合で編集されていますが、現実なら風呂にいきながらもう一言二言の応酬はあるかもしれませんね。パパがママを無視したように映ってしまい、この部分で見る人に悪い印象を与えてしまった可能性はあるかもしれません。
パパは湯船につかりながら、思いにふけります。
(親父が与えてくれたもの、俺は与えられているのかなぁ)
昭和の親父にも平成のパパにもなりきれず、どっちつかずの自分の在り方について思いめぐらせます。
風呂からあがったパパは、ママに「さっきはゴメンね」とすぐに謝ります。
ここでママはすぐに笑顔になって、子どもを食卓に呼びます。
たぶんママも分かってるんですよね。なにか理由があって飲んで帰ってきたのだと。パパの性格とか行動パターンは、ちゃーんとお見通しなのです。
でも、分かっていても、大切な日に連絡もなく飲んで帰ってくるのは腹が立つからママは怒ってしまいます。逆に、そんなママのことを、たぶんパパもわかっています。
言葉にせずとも通じ合っている関係です。これもイマドキではありませんね。
いまはハッキリ言葉にするべきだという時代ですから。
パパが風呂から出て、すぐにゴメンと謝ったのは、ある意味で平成的な対応だったのでしょう。こうして夫婦関係は維持されていきます。
ゴミ出しはするし。
妻のお使いにも応じるし。
遠き日の親父のようには全然なれてないパパだけど、言葉にせずとも通じ合える妻との昭和っぽい?関係は、どうにかこうにか築けています。
そして後日。
またゴミ出しをするパパ。
そのままバスに乗り、見慣れた車窓を見るともなしに眺めます。
最後にメッセージコピー(さ、洗い長そ。)と企業ロゴが表示されてムービーは終了です。
*
いかがでしょうか。
少しはムービーの印象が変わったでしょうか。
パパの一日を振り返ってみると、良いことも悪いことも表裏一体で「居酒屋にいかなければ良かった」と、単純に反省するような話でもないことがわかります。
人の心は、悪い部分だけを切り離して捨てることはできません。
上手く立ち回れない不甲斐ない自分へのネガティブな感情。
自分の在り方に対する迷い。妻への罪悪感。
一日の疲れや汚れとともに心を洗い流すことで、素直にゴメンねと謝れたパパのように、気持ちをリフレッシュできるのです。
*
ショートムービー的な仕立てになっているだけに、部分的な「パパの行動」だけを見て批判されるのは、作品の意図としてまったく不本意なのでしょうね…。
まぁCMは見る人の勝手ですから、仕方ないことではあるのですが。
男性がセクハラされるCMが炎上しないのと、セクハラCMが生まれる理由が表裏一体。
性的であると批判されるCMって多いですよね。
最近だと、サントリーの「頂」とか、宮城県の壇蜜のPR動画とか。
その陰で、ひっそりと社会から見過ごされているエロティック&セクハラCMがあります。
菜々緒さんの出演している、ファブリーズのCMです。
なんかネットサーフィンしてたら、動画がたまたま出てきて気になったので書きます。
セクハラ vs スメハラ
エレベーターに次々と女性が乗り込んできて、クンクンとスーツの臭いを嗅がれる男性。
エレベーターが動いている間、男性は女性たちに次々とキツい言葉攻めを受けます。
汗臭っ!
なんか酸っぱい
ランチ焼き肉食ったっしょ?
そのあとタバコ吸ったなぁこれ
そして、とどめの一言はこれ。
これで得意先いくんですか?
女性たちの言葉攻めに耐えきれず、
中から出たい!(エレベーター的な意味で)
という表情をする男性。
女性たちがエレベーターを降りていき、最後に残った菜々緒さんが、
「これでファブりなさい」
と、男性にファブリーズを手渡して去っていきます。
セクハラ全開だし、性的な表現も見られるけど…
女性がよってたかって、男性のスーツを嗅ぎまわるのはセクハラです。
しかも最後の男性の表情は、性的な快感を彷彿とさせます。
(あぁ!もう出たい!的な顔)
でも、男性はこのCMを見てどう思うでしょうね。
うらやましい!
菜々緒さんに叱って欲しい!
とか、思ったりしませんか?
間違っても、「けしからん!」とは思いませんよね。
そこが多くの男性が性的に倒錯していることの現れなのです。
男女を入れ替えて考えると、男性の異常性がよくわかる
このCM、男女が逆だったらどうでしょう。
女性一人のエレベーターに男性が次々乗り込んできて、クンクン臭いを嗅ぎまわる。
セクハラどころか、もはやレイプ一歩手前と認識するひとも多いのではないでしょうか?
最後に男性がひとこと。
これで得意先いくの?
はい、完全にアウトですね。
でも男性はCMを見て、気持ち悪いどころか気持ちいいとすら感じてしまいます(まぁ実際にやられたら嫌だろうけど/笑)
セクハラはやられる側が不快に感じていないとセクハラにならないので、どんなにキツイ内容だったとしても、男性向けのこのCMが炎上することはないのです。
男性は性的な意味合いをもつ動画を見慣れている
男性も女性と同じく、CMのようなことを実際にやられたら嫌なんです。
嫌なはずなのに、動画で客観的にみるだけだと意見が全然変わるのが男性の困ったところです。
女性⇒セクハラだ!
男性⇒うらやまけしからん!
この差は何なのか。
これって、男性は性的な動画を客観的に見ることに慣れているのではないかと思うんですよね。
つまり日常的にAVを見ているということなのですが。
エロ全開の動画を日常的に見ているが故に、CMで流せる程度のエロさには反応しないのだと思います。
だから男性を意識してエロCMをつくると、女性から見たときにドぎつく見えてしまうんじゃないですか。
逆に、女性はあまりAVを見ないので、映像で性的なものを見る(第三者的なものとして見る)ことに抵抗感があって過敏になってしまいます。
女性は「性的な映像=自分事」と感じやすいのではないでしょうか。
男性はエロと自分とを、切り離して見ることに慣れているんです。
まさに、たゆまぬ訓練のなせる技ってことですね。
ファブっていこー。
グルメ雑誌は、ちゃんと読者目線で取材しろ!
グルメ雑誌の体たらくが酷い。
彼らは自分の足で情報を稼ぐことをせず、なじみの店主たちとベッタリヌルヌルな関係を築いて、お決まりの店をローテーションして紙面を回している。
- 手あかのついた店を「〇〇特集」と、切り口を変えて再利用してばかり
- グルメ雑誌がしょぼいのは、ネットのせいではない
- 食べロガーやブロガー、インスタグラマーは、ちゃんと新規店に凸している
- 「客単価」では、店の値段は分からない
- 「おすすめの一品」なんて、どーでもいい
手あかのついた店を「〇〇特集」と、切り口を変えて再利用してばかり
この店も、あの店も、ぜんぶどっかで紹介されてるの見たことあるぞ。
えっ、いまさらこの店を載せる?予約でいっぱいだから、紹介されてたって、どうせ入れないじゃん。
初見の店は、ビール会社のタイアップ記事で紹介されてる店だけだ…。
バル特集、立ち飲み特集、餃子特集、〇〇(地域)特集…etc
切り口は違うが、掲載されている店はいつもの店ばかりである。
こんなのは、食べログでジャンルを絞って点数順に並べれば、だいたい似たような一覧はすぐに出る。
と、こんな話をすると、それは食べログがあるからしょうがないとか、インスタグラムがあるから…とか言い出す人がいる。
違う。断じて違うぞ。
原因は、すべて編集者の怠慢にある。
グルメ雑誌がしょぼいのは、ネットのせいではない
たしかに、食べログやインスタグラムの情報は早い。
優良店が新規オープンすると、あっという間に話題になって、1週間以内に予約MUST店化することはよくある。
でも、その情報の出所をよ~く観察してみると、実は、数えるほどの少数精鋭たちによってもたらされていることが分かる。
365日、毎食が外食じゃねーのか?この人は何者や!?セレブか?仕事してんの?
という外食廃人たちが各エリアごとに数名いるのである。
そう。彼らのように人生を外食に捧げていれば、もっとええ情報をゲットして紙面に反映させられるはずなのである。
ようするに取材を怠けているのだ。あるいは熱意がないか。
諸事情により100歩ゆずってハードな取材が無理だとしても、インスタでリサーチすればもっと面白くて新しい店は、いくらでも見つけられるはずだ。
そんな手間暇すら惜しんでいるのか、と疑わざるをえない。
食べロガーやブロガー、インスタグラマーは、ちゃんと新規店に凸している
彼ら彼女らを尊敬してやまないのは、なじみの店に入り浸らないことだろう。
お気に入りの店は数軒ありつつも、果敢に新規開拓をしていらっしゃる。
彼らの提供してくれる情報は活きが良い。
「こんなところに、こんな店があったんだ!」という、まさに目から鱗の、面白いお店を開拓してくれるのだ。雑誌よりも、よほど情報価値があると感じる。
見ていて得した感があるし、実際に、そのお店に訪問することも多い。実用性がある。
「客単価」では、店の値段は分からない
雑誌の人たちは、自分の金で飯を食っていないのか、よほど金持ちなのか、飲食店を崇拝しすぎなのかは知らないが、やや金銭感覚が崩壊している。コスパの概念が薄い。
お酒をそこそこ嗜む人なら90%以上の人が同意してくれるだろうが、雑誌の実用性を意識するなら、紹介する店の生ビールの価格くらいは、全店必ず書くべきだろう(大衆的なグルメ誌なら)。
ビールの価格はビッグマック指数のようなもので、その店のメニューの相場を推し量る重要な指標となる。
よく雑誌に書かれている「客単価」では、食べる量・酒量に個人差があるので、分かりづらいのだ。
ネットの有志たちは、その点をちゃんと押さえてくれるから、実際に活用しようと思ったときに、情報としての価値が高く感じられる。
「おすすめの一品」なんて、どーでもいい
雑誌だと「食べるべき一品!」とか「必食!」とか言って、1品、2品のメニューをゴリ押ししてくる。
そうじゃない!!と言いたい。
俺たちは、メニューをもっと色々見たいんだ。そして、その店のポテンシャルを測りたいんだ。その店の懐の深さを推し量りたいんだよ。
注文を受けてから焼く厚揚げがうまいのは分かった。でも、我々は、厚揚げだけ食いにいくわけじゃない。
刺身も頼むし、ポテサラも頼む。ビールも飲む。気が向いたら日本酒にいきたくなるかもしれない。
一品だけ良くても、その店には行かないんだよ。
反面、ブロガーたちは、とにかくUPする情報量が多い。
中にはメニュー表を撮影してUPしてくれている人もいて、大変助かる。
その店が自分的にアリかナシか、判断するに十分な情報量を提供してくれている。
飲食店のように、素人でも取材可能なジャンルは、やっぱもうダメなのかも。
作り手が、ネット民に勝つのをあきらめてる感がある。
企業の経営者にインタビューするとか、素人にはできないことをメインに扱う情報誌じゃないと、わざわざお金を出して買うってことにはならないのかもしれない。
というのもあるし、本当に好きでやってる人に、仕事だからやってる人は勝てないってことなのだろうな、とも思った。
怪しい会社から、メールで広告掲載依頼があった。
時間が経ったので、そろそろ書いても良いでしょう。
こんなメールが届きました。
件名:【掲載のご依頼】
突然のメール申し訳ございません。
はじめまして。
弊社は[社名]と申します。
WEBサイト運営を行っております。この度、貴サイトを拝見させていただき、弊社運営サイトの広告をご掲載頂きたく、ご連絡をさせていただきました。
突然のご依頼で大変恐縮ですが、記事・バナー、種別はどちらでも構いませんのでご掲載を頂く事は可能でしょうか?
ご掲載頂きたいサイトは転職関連サイトになります。
また、掲載頂くにあたって、条件や費用等ご教授頂ければ幸いです。※
今までに掲載のご経験がない、相場が分からない場合等、こちらで算出を行い、 ご提案をさせていただく事も可能ですのでお申し付けくださいませ。突然のご連絡誠に申し訳ございませんでした。
よいお返事が頂けると事を願っております。それでは今後とも何卒よろしくお願いいたします。
怪しさ満点。
なにが怪しいか順番に解説しますね。
業者の方、釣りを楽しんでる方が見てらしたら、お勉強してください。
【掲載のご依頼】
まったく面識のない突然の連絡ですから、
「●●と申します」等、まず何者かを名乗るべきかと。
もうこの時点で怪しい。
例:【掲載のご依頼】株式会社●●●の●●と申します
突然のメール申し訳ございません。
はじめまして。
メールの書き出しは「●●様」と、相手の社名・名前から始めるのが基本です。
コピペ文章を大量にまき散らしているのがバレバレです。
弊社は[社名]と申します。
社名でググったら、何もでてきません。
ネット関連の企業がホームページ持ってないwww
笑えない冗談だ。
WEBサイト運営を行っております。
URLください。
せめてサイト名書いて。
突然のご依頼で大変恐縮ですが、記事・バナー、種別はどちらでも構いませんのでご掲載を頂く事は可能でしょうか?
ご掲載頂きたいサイトは転職関連サイトになります。
これだけの情報で「うん。ええで」と返事するヤツがどこにおるんだと…。
転職関連サイトって何なのよ。
そりゃリクナビやマイナビなら大手を振って歓迎するが、たとえば風俗の求人サイトでも、それは「転職関連」サイトかもしれないじゃないですか。
返事なんぞできるわけがない。
また、掲載頂くにあたって、条件や費用等ご教授頂ければ幸いです。
ぶしつけに依頼しておきながら、
初手から価格の駆け引きを仕掛けてくる根性が気に喰わない。
ご教授という言い回しがかえって慇懃無礼だ。
ズバッと、潔く値段を提示するのが筋でしょう。
今までに掲載のご経験がない、相場が分からない場合等、こちらで算出を行い、 ご提案をさせていただく事も可能ですのでお申し付けくださいませ。
だったら、最初からそうしてください。
突然のご連絡誠に申し訳ございませんでした。
よいお返事が頂けると事を願っております。それでは今後とも何卒よろしくお願いいたします。
誤字w
コピペだったら全メール誤字だよ。大丈夫か。
それに僕とこの会社との関係は「今後ともよろしく」ってフェーズでは、まだない。
書くなら、「ご検討のほど、よろしくお願いいたします」くらいじゃないのかな。
文面がツッコミどころ満載でひどかったが、極めつけはこれ。
「*****@yahoo.co.jp」
メアドがフリーメールwww
釣りにしても雑すぎる。
ほんとにひどい。
ひどすぎる。
とは言え、いちおう返事を返してみた結果
分からないことが多すぎて、とてもじゃないけれど手の内を明かせる状況ではなかったので「もう少し情報をください」といった内容の返答をしたら音信不通となりました。
まぁ、99.9%釣りでしょう。
ビジネスメールにYahooのフリーメール使ってる時点でおかしいです。
そもそも、こんな認知度が低く、PV数の低いサイトに広告なんて掲載したって意味がないのです。
しかし、こんなサイトにも、いやこんなサイトだからと言うべきか、悪戯メールは来てしまいました。
ブロガーのみなさん、お気を付けください。
「ついにワイのブログもマネタイズや!」と浮かれていたら大変な目にあいますよ。
宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞で気になっていたこと。
宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞について。
歌詞のフレーズで気になる部分があって検索してみたけど、自分の感じたのと同じことを書いている人が見当たらなかったので書いてみる。
母の日も近いので、ちょうど良い話題かもしれない。
「花束を君に」は、亡くなった母に向けて書かれた歌詞だと解釈されている
いくつか読んだが、みなさんの解釈はおおむね共通。
2013年に亡くなった、宇多田ヒカルさんの母「藤圭子さん」に向けて書かれたものだという解釈が多い。
冒頭のフレーズ、
普段からメイクしない君が薄化粧した朝
は葬儀の日、死化粧を連想させる。
サビの部分の
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
では、告別の哀しみが見事に一言で表現されている。
この辺りの解釈については、ぼくもそうだと感じる部分だ。
個人的に、気になっているフレーズ
ぼくが気になっているのは、2番の最後のところ。
花束を君に贈ろう
言いたいこと 言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
神様しか知らないまま、の部分だ。
これがぼくには、初めて聴いたときからずっと、語尾の「まま」の部分が「ママ」と呼んでいるように聞こえる。
歌詞の意味としては、当然ながら「まま」が正解。
でも、宇多田さんの歌い方も相まって、ぼくには「ママ」と亡き母に呼びかけているかのように聴こえ、このフレーズを聞くたびに心揺さぶられるのだ。
この動画で言うと2分すぎた辺り。
PVだと、歌詞に宇多田さんの表情も重なり、余計にそう聴こえる。
神様しか知らないママ。
母、藤圭子さんが宇多田さんには見せなかった一面。
藤圭子さんの死因は、飛び降り自殺だとされている。
生前、鬱病に苦しんでいたともいわれている。
「花束を君に」の歌詞には、直接的に「母」という言葉は出てこない。
歌詞に登場するのは「君」だけだ。
もし本当に、多くの人が解釈するように、この歌詞が亡き母を想像して書かれたものだとすれば、「まま」というフレーズに、特別な意味が込められていても良いのではないかと思う。
文脈としては意味が通じず破綻しているけれど、「まま」を「ママ」と読み替えることで、ぼくには歌詞の世界観がいっそう深みを帯びて感じられる。
キングコング西野の事は嫌いになっても、絵本「えんとつ町のプペル」の事は嫌いにならないでください。
大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します(キンコン西野) - Spotlight (スポットライト)
キングコングの西野さんがつくった絵本が無料公開された!
の他、無料公開したときの言い分がけしからんだの何だのと、いろいろ話題になっていたので、とにかく読んでみました。
絵本なんて読むの何年ぶりやろか。
…ええ話やないですか。
めっちゃいいですやん。
絵もハイクオリティ。
スクロールしながら読みつつ、確かにこれは無料で公開するのはアリなんだろうなぁと思いました。
WEBで見て、実際に子どもに読み聞かせたいと思った親御さんの中には、買う方も多いでしょうから。
せっかく内容はいいんだから、作者のいらんことでイメージダウンしてるのが(それで結果的に売れたとしても)、もったいないなーと、かなり真剣に思いました。
作者がイメージダウンの原因になってるつながりで言うと、ゲスの極み乙女も楽曲はとっても好きでした。
と、余計な話はさておき、HPでは、絵本に対する西野さんの簡単な解説も公開されていました。
作品についてのオフィシャルな意図は、この通りです。
えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺。そして、「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。
作者の意図はこれなんですが、まぁただ、せっかくなのでぼくが初見で感じたことも書いてみようと思います。
ハロウィンの終わりが、特にグサっときた
読まれてない方のために少し書きますと、絵本の主役は「ゴミ人間」です。
「ゴミ人間」は、本当にゴミでできてるんです。
人間ではありません(画像の下に立っているのがゴミ人間)。
ただ、ゴミ人間がたまたま街にきたのがハロウィンの日で、みんなが仮装していたから、非人間であることを知られずに周囲と打ち解けることができました。
物語はそんな導入です。
しかし、ハロウィンが終わると、周りのみんなは仮装を解いて人間に戻ってしまいます。
ゴミ人間だけが人間に“戻れ”ません。
結果、ゴミ人間は孤立します。
ここからが、個人的にグサグサきた点で、
ハロウィンというのは、
みんなが遊びでやっていること、
冗談でやっていること、
ネタでやっていること、
本気じゃないこと、
演技であえてやっていること、
なわけですが、
これらが、ゴミ人間にとっては全て本物(リアル)なわけです。
みんなが裸に見えるボディスーツを着て踊っていた中で、自分一人だけが本当に全裸で踊っていたことに、後になって気づく、ということです。
イコールではないかもしれませんが、ぼくは、いっしょに仕事する相手に対して価値観の大きな隔たりを感じたときに、これに近い、道化にされたような気分になることがあります(被害妄想とも言う)。
たとえば、関わっているその他の人たちにとっては、数ある仕事のなかの1個という認識なんだけど、僕だけがその仕事にすごく思い入れを持っていたとき。
その事実に、あとになって気づいてしまったとき。
色んなことが頭を駆け巡ります。
当時、すごくいい雰囲気でやれていたと思った仕事が、実はモチベーションが全然違うなかで一人空回りしていただけだと後で分かったときの、穴に入りたさ!片思いの虚しさ!と言ったらない。
あるいは、飲み会で会社の悪口を言う空気になったときに、みんなにあわせて、あーだこーだ話していたら、後日、ぜーんぶ上の方に筒抜けになっており、くっそ貧乏クジ引かされたこととか、ね。
ハロウィンのシーンの「若干のはめられた感」には、過去の色んなトラウマがフラッシュバックさせられ、リアルゴミ人間である僕にはとってはグサグサきたのでしたとさ。
以上、かなり歪んだ「えんとつ町のプペル」の読み方でした。 おしまい。
石田衣良氏は、「君の名は。」だけじゃなく「秒速5センチメートル」も見てる説。
石田衣良氏の年頭所感 「新海誠氏と宮崎駿氏の違いは」│NEWSポストセブン
この記事を読んだ。
石田衣良氏が新海誠監督の映画「君の名は。」を批評していたのだが、その内容がポジショントークに溢れすぎていて香ばしかった。
たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。
青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです。
付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。
恋愛の指南役的なポジションで売っている人なので、ついつい筆が滑ってしまったのだろうなぁと推察する。
ポジショントークが過ぎて、文章の力加減を誤ってしまったのではないか。
石田衣良氏の発言は「君の名は。」だけを見て発せられたとは思えない
ご覧になられた方はご理解いただけると思うが、「君の名は。」は極めてノーマルな青春映画である。
若者の淡い恋心がテンプレ的に表現されていると言っても良いのではないだろうか。
「君の名は。」は、ストーリー構成や絵の見せ方が秀逸なのであって、語られる青春劇の内容自体はある意味で凡庸なものだ。
表現が非凡かつ描かれる感情が平凡だからこそ、最大公約数の共感を獲得できた。
だからこそ、本作の内容だけをもってして、石田衣良氏が『(新海監督は)楽しい恋愛を高校時代にしたことがない』とまで断言していることに疑問を覚える。
実は、石田衣良氏は「秒速5センチメートル」も見てるだろ
実を言うと、石田衣良氏の推測は、当たらずとも遠からずなような気もしている。
というか、そもそも男子に限って言えば、高校生の段階では女性と付き合ったことがない率は4割くらいあるものだ。田舎で統計をとったらもっと割合は高いだろう。
石を放ればヒットするレベルには一般的な属性だ。
でも、石田衣良氏がわざわざ記事にしてしまうほどに非モテの印象を持ったのには、別の理由があるはず。
それは新海監督の過去作「秒速5センチメートル」の存在ではないか。
ネタバレになってしまうが、「秒速5センチメートル」は、主人公の男性が中学時代にイイ線までいっていた女子と転校により不通になってしまい、そこから延々と彼女のことを想い続けて青春時代がすぎさり、最後にはええ歳した独身オッサンになってしまう、という鬱展開の教本のごとき作品だ。
これを見ると、たしかに新海監督には、底知れぬ心の闇があるような気がしてくる。
不遇の青春時代を過ごしていたのではないか、と想像するに充分なエッセンスがつまった不朽の名作なのである。
実は、新海監督は恋愛強者
余談だが、新海監督は非モテどころか、むしろ恋愛強者だという事実もある。
なんと監督の奥さんは女優だ。
もう一度言う。
新海誠監督の奥さんは女優だ。
三坂知絵子さんという。
ポジショントークの業の深さ
ポジショントークの業の深さを思い知らされた一件だった。
石田衣良氏の立場で、アニメ映画の恋愛観を賞賛するというのは確かに微妙だ。らしくないと感じる。
しかしそうは言っても、恋愛小説の達人がアニメ映画の監督に恋愛ネタでマウンティングするとは大人げなさすぎる。
石田衣良氏には、新海監督のパーソナリティについて語るのではなく、「君の名は。」の恋愛観について、いまどきの若者と照らし合わせて突っ込んだ意見を書いてほしかった。
紅白歌合戦2016のau公認感がすごかった!(など、つらつらと紅白歌合戦の雑感メモ)
NHKの紅白歌合戦をみていて感じたことをメモ。
視聴率を下げないように、めっちゃ計算してる
「いきものがかり」や「ゆず」など、万人に愛されるちゃんと聴かせられるアーティストはピンで見せ場を作っているのに対して、人気が一部の層に偏りがちなアーティストについては露骨にテコ入れを図っていた。
たとえばこんな感じ。
香西かおり⇒橋本マナミをバックダンサー的に起用
郷ひろみ⇒土屋太鳳<をバックダンサー的に起用
福田こうへい⇒本人の歌唱をあまり映さず関ジャニなどで絵力キープ
水森かおり⇒小林幸子っぽいラスボス衣装
紅白のバラエティ化
平野ノラや渡辺直美、ピコ太郎などがいつもの民法ノリで画面に登場。
大野君を中心とした嵐メンバーがからむMCも、完全に「嵐にしやがれ」のノリ。
歌の合間合間にマツコとタモリのゆるいトークをはさんだり。
りゅうちぇる&ぺこが出てたり(この2人ってポストぺーぱー夫妻ぽいよなぁ)。
紅白感は薄れたけど、すき間を埋めたことで間がもっている感じはする。
RADWIMPSの前前前世が思ったほど盛り上がらず
ボーカルがかなり緊張していたように感じた。
ふだんのパフォーマンスを発揮できてなかったのだろう。
新海誠監督が紅白のためにオリジナル編集した動画が流されていたが、やっぱりこの曲は映画ありきなのだなぁとつくづく思った。
ライブでやるなら、他の楽曲のほうが曲としてはもっと良いのがあると感じた。
…まぁ話題性との兼ね合いがあるので、これはしょうがないかな。
紅白歌合戦の24時間テレビ化
桐谷健太の歌が奄美大島の子どもたちに愛されていることや被災地の人に勇気を与えていることなど、ドキュメンタリー番組風の演出が要所にあった。
司会の有村架純がauのCMに言及
桐谷健太が歌唱前に乙ちゃんも応援しているよ!的なことを言っていた。
しかしその設定はauのテレビCMの設定では?
とっさのアドリブという感じではなかったけれど、、、特定の企業をひいきすることがないNHKにしては珍しいことだと思った。
桐谷健太からのAI(みんながみんな英雄)という、auの紅白歌合戦ジャック
よくゆるしたな、この流れ。
auのCMを企画した人は天才だと思った。音楽番組のみならず、紅白出場という展開まで見通していたのだろう。
しかし、公共放送としてはちょっとどうかと思う。
バランスをとって司会にペッパー君も起用すべきだったんじゃないのか。
なんだかんだで豪華アーティストが集結
福山雅治が年越しライブとの掛け持ち出演だったりと色々都合はあるようだけど、みんなが観たいと思えるアーティストをよく集めていたように思う。
個人的にはRADWIMPSや椎名林檎、宇多田ヒカルの出場が嬉しかった。というか、ずっと出てなかった宇多田ヒカルがついに紅白に出るのだね。
ミュージシャンもビジネスマンであり、企業家なのだと思わずにはいられない。みんな大御所になってくると行きつくところは長いものであるNHKなのね。
その点で言えば、ちゃっかり出場し続けている西野カナは偉い(今年7回目)。
婆になって恋の歌が歌えなくなったあとのセカンドキャリアもちゃんと見据えてる。けっこうしっかり者だ。
個人的には、息を吹き返した感のある紅白歌合戦
今年は紅白歌合戦の超大御所、和田アキ子の落選に代表されるように、紅白が老い先短いジジババ視聴者を捨てて、次世代の層の取り込みに本腰を入れ始めた年と言えるかもしれない。
「君の名は。」 や「シンゴジラ」「ピコ太郎」「恋ダンス」など流行ものも積極的に取り入れた(ややPPAPを引っ張りすぎてくどいようにも思えたがw)。
保守的なイメージのあるNHKのイメージとしては意外だった。
裏番組の「笑ってはいけない~」で大御所を登場させてパロったりいじったりするネタがあるけれど、なかには紅白が今年やったことはその豪華版であり、くだらないと言う人もいるかもしれない。
でも、その年の話題の歌やエンターテイメントを取り入れることで、紅白がかつて演出できていたオールスター感は、また違った形で演出できていたのではないかと思う。
残念ながら、いまの若い人は、和田アキ子や北島三郎では盛り上がれない。
ある種、低俗に見えたとしても、これは立派に時代に合わせた適応だと感じる。
紅白歌合戦が時代に合わせて変わろうとしている、その兆しを感じることができた。
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さて、2016年もそろそろ終わりです。
2016年は当ブログを42万人オーバーの方にご覧いただけました。
匿名のよくわからないヤツの記事でも、こんなにたくさんの人に読んでもらえるのだと勇気をもらっておる次第です。
2017年もマイペースに更新して参ります。
引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。
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宇多田ヒカルの出場は嬉しかったけど、海外のスタジオから中継だったのはちょっぴり残念。久々の楽曲リリースだからなのか声もあんまり出てなかった。
個人的に2016ベスト曲なのだが。
…と、言うてる間に明けましたね。
2017年もよろしくお願いいたします。
さっそく追記。
そういや、紅白の採点。
あれなんで紅組が勝ったんでしょね(´・ω・`)
審査員がすべてってことか。司会の有村ちゃん驚いとったね。
ドラマ「相棒」にフリー素材の「ぱくたそ」が登場。これアカンやろ。
録画した相棒をみていたら、事件の重要人物が昔に勤務していた会社の部長補佐役が逮捕された、という設定で過去の新聞記事が画面に登場。
すると、どこかで見たことある顔が登場しました。
うん、これはどう考えても見覚えある顔だぞ。
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「ぱくたそ」だ!!
というわけで、さっそく検索してみたら予想通りありました。
https://www.pakutaso.com/20130926255post-3272.html
発見したことは、ある種のアハ体験で面白かったのですが、ドラマの鑑賞の観点からいえばこれはダメダメですよ。
ドラマに熱中していた熱が一気に冷めてしまいました。
いくら新聞の紙面に顔が出るだけのちょい役だとしても、フリー素材はいただけません。
3流ドラマならしょうがないけど、テレ朝の看板番組ともいえる天下の相棒で、こんなケチくさいことをするなんてショックです。
世の中に売れていない役者さんは星の数ほどいるのに、なんでそういう人たちの写真を使わないのか。そんなにお金がかかるわけじゃないと思うのですが…。
高樹容疑者の大麻問題で過去作の再放送が危ぶまれる相棒だけに、台所事情が芳しくないのか、変な役者の写真を使ってあとで面倒なことになるのが嫌だったのか、相棒の編集すらも下請けの会社に丸投げしててチェックがズブズブなのか……。
フィクションの世界を楽しみたいときは、現実とのつながりは出来る限り断ってもらえたほうが作品に集中できるのですが、、、
生活感を感じないから海外ドラマや洋画のほうが作品にのめり込める、という方がたくさんいらっしゃるのも頷けます。
一時期は微妙だった脚本が持ち直してきて個人的には楽しみに観ていただけに、今回の一件にはしょんぼりしてしまいました。
そういえば、水谷天皇が「もう反町クンはいいよね」と反町の降板を示唆している、といった記事も出てましたね…。相棒は年々おかしな方向に迷走している感がぬぐえません。
大好きでずっと見つづけているドラマだから、どうにか頑張ってもらいたいんですけどねぇ。
逆グノシーが欲しい。
むかしこのブログで少し書いたのですが、やっぱり必要性を感じたので改めて書いてみます。
ぼくはいま、猛烈に欲しいキュレーションアプリがあります。
それは、、、
自分の知らないことや興味の薄いニュースばかりが集まってくるキュレーションアプリ
です。
そもそもニュースを見る目的とは何か
人によって理由は様々かもしれませんが、ぼくの場合は自分がまだ知らないことを新たにインプットするためです。
へー、こんな商品が出たのか。
ふーん、最近はこんなイベントが流行ってるんだねぇ。
てな感じで、見識が広がるようなニュースに期待しています。
キュレーションアプリは、使い続けるとマンネリ化する
グノシーに限ったことではありませんが、キュレーションアプリは、使い続けることで自分の興味関心のある分野のニュースが集中的に集まってきます。
これはこれで便利だし、あった方が良いものだと思います。
でも、そろそろこの展開にぼくは飽きてきました。飽きたというか、もうちょっと刺激的なアプリを欲しています。
それが「逆キュレーション」アプリ
どういうアプリか説明します。
その人の好みを読み取って、
「この人はこの手のニュースに関心がない(アンテナがない)な。このニュースは知らないだろう」と判断したものばかりを集めてくれるアプリです。
自分の知らないこと、興味のないことばかりが集まってくるアプリです。
こんなの意味あるのか?
と思われるかもしれませんが、見識を広めるためにニュースアプリを使うなら、ある意味で便利ですよね。
読んで気持ちいい記事だけを読みたいなら、既存のアプリは超優秀です。でも、自分の好きなものばかり摂取していると、情報の偏食が起こります。
情報の偏食を防止するサプリメントのようなニュースアプリが、世の中に一つくらいあっても良いんじゃないでしょうか。
グノシーなら、たぶん作れる
なぜなら、グノシーユーザーに対して、普段やっていることの逆をやればいいから。
グノシーの利用データをもとに、グノシー本体にはユーザーが気持ちよくなれる好みに合ったニュースを。
逆キュレーションアプリの方には、それとは真逆のニュースを送れば良いのです。
ぼくの場合、まぁ使い始めは、美容とかヨガとか旅行のニュースばかり来そうですが、そういったニュースも食わず嫌いせず読んでいれば既知のニュースとして扱われてそのうち別のニュースが来ますから問題ありません。
これまで読まなかったニュースを読む、という目的は無事果たされます。
新たなビジネスチャンスも広がる
興味のあるニュースに紛れて広告がはさまっているよりも、基本、興味のないニュースで溢れ返ったなかに、紅一点パーソナライズドされた興味に合う広告が表示されていたほうが、ついクリックしてしまいそうだからです。
通常のネイティブアドではありえないような、効果を叩き出せるかもしれません。
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実現可能性や技術的なことを全部無視した妄想だけど、あったら面白いと思うんだよなぁ。
あ、ちなみに、アプリの名称はグノシーを逆さにして「シノグー(仮)」で。