禁酒・断酒の難しさについて。
完全な断酒というわけではないのですが、健康上の理由からお酒の量を極端に減らしています。
お陰様でいまのところ健康体ですが、お医者さんからガブガブ飲んでいた酒量をあと2~3年続けたらどうなるかわからないと言われて、禁酒に取り組みはじめました。
現在は医師の指導を受けながら、月に1回~2回だけ飲んでいる状態です。
最近、イレギュラーな飲み会が多かった影響で飲酒スイッチが入ってしまい、またお酒が飲みたくなってきてしまったので、戒めのために歯を食いしばりつつ書きます。
ちなみにアルコール依存症とは診断されていません。
手が震えたりもしませんし、女子高生を襲ったりもしません。飲んでも全然変わらないね、とよく言われます。
でも、依存症じゃないからこそ怖い話だと思って読んでください。
依存症までいかなくても、お酒を趣味にしたり、精神的支柱のように扱っていると、後で大変な思いをするかもしれません。
- お酒に強い人ほど危険です
- 「風呂上がりの1杯」のない人生
- お酒をやめるには完全な断酒しかない
- お酒を見ると「飲む」想像をしてしまう
- 禁酒を楽しむ努力をしているが…
- 居酒屋を訪問する番組に救われている
- 飲み会を断る辛さ
- ストロング缶を、がぶ飲みしている人へ
お酒に強い人ほど危険です
僕はわりとお酒に強い体質です。
飲み放題の飲み会に行ったら、最後までずっと一定のペースで飲み続けられるくらいには強いです。家で映画見ながらワイン2本くらい空けてたときもありました。
でも、量を飲めるのと肝臓が丈夫なのとはやっぱり違うんですよね。
若いころに夜中まで働いて朝まで飲んでそのまま仕事という生活を続けていたこともあって、アラフォーに足を踏み入れたくらいになってから一気にガタがきました。
それで今、大事になる前に先手を打って、お医者さんに相談しながらお酒を減らす努力を続けています。
「風呂上がりの1杯」のない人生
みなさんよくやると思うのですが、帰宅して風呂上りに「プシュ」と一杯。
あれでONからOFFに、スイッチを切り替えられるんですね。
冷えた缶ビールをグビっと流し込むと(最近はストロング缶ですかね)、一日働いてこりかたまった体がほぐれていくのを感じます。
風呂上がりの一杯の効能って、みなさんが思っている以上に大きいです。失ってわかりました。
もちろん、体が慣れてきて徐々に切り替えられるようにはなっているのですが、アルコールを入れたときのバチっと一瞬でスイッチが切り替わる快感は得難いものがあります。
いまでも飲みに行くと感じます。あれはたまらんですね。
お酒をやめるには完全な断酒しかない
これは僕のように月に1回、2回でも飲んでしまうと、久しぶりに飲む酒がうますぎて、すべてが台無しになってしまうからです。
せっかく2週間とか3週間とか、場合によっては1カ月2カ月、お酒を控えていても、一回飲みに行くと一晩で脳みそはお酒漬けに戻ります。
そうなると帰りのコンビニで買いたくなるし、立ち飲みにいるサラリーマンとかを見るのも辛いです。
あぁいいなぁ。自分も飲めたらなぁ。
とか考えてしまいます。
我慢はできるのですが、ストレスは感じてしまいます。
ダイエットなどで断食中に、カレー屋さんやラーメン屋さんの前を通ると「く、食いてぇ…」ってなるじゃないですか。
あれと同じかもうちょっとキツイくらいだと思ってください。
お酒を見ると「飲む」想像をしてしまう
テレビを見ているときに、ふいに流れるビールのCMは苦手です。飲みたくなるから。
そういえば以前、CMの「ゴクゴク」という効果音が禁止されましたよね。
一般の方は「そんなの意味ないでしょ」と思うかもしれませんが、あれは意味があります。
なくなって正解です。できればCMそのものもやめてしまったほうが良いと思います。
というか、なんなら国は往来から見えるところで酒を提供するのも、禁止したほうが良いかもしれません。
手の届くところにすぐお酒がある感じが、強い誘惑になるんです。
禁酒を楽しむ努力をしているが…
禁酒を始めてから、ベタですがノンアルコールビールを飲むようになりました。
ノンアルコールビールの感想|23種類を飲み比べて、おすすめ順にランキングしました|2018年版
ブログのネタにしていろんな種類を集めて飲み比べるなど、ノンアル生活を楽しめるように工夫しています。
大好きなコーラ(0カロリーのやつ)を代わりに飲んだり、ちょっと上等なコーヒーを買ってみたり。
禁煙した人が飴をなめるみたいな涙ぐましい努力を続けています。
しかし、ノンアルコールビールには致命的な欠点があります。
それはノンアルに頼って禁酒していると「飲酒習慣」を断つことができない、ということです。
禁酒していても、毎日毎日ゴクゴクとのどごしを味わうあの感じは、ずーっと継続してるわけです。
いつでも試合に出られるように、せっせとバットを素振りしてるのと同じなんですよ。
あと、「ノンアルコールビールを飲むと、ビールを飲んだ気になる」という人がいますが、あれは正確に言うと嘘だと思います。
味の表現としては僕も使いますが、本当にアルコールを欲している人からすると、どこまでいってもノンアルはノンアルです。
禁煙パイポとタバコは違いますよね。あれと同じです。
居酒屋を訪問する番組に救われている
さきほどビールのCMが苦手と書きました。
矛盾するようですが、居酒屋をめぐったり旅番組でお酒が出てくるシーンなどは、苦痛に感じません。むしろ好きでよく見ます。
大丈夫な理由はわかりませんが、自分も一緒になって楽しんだ気分になれるみたいです。
TOKIOの松岡さんが出ている
飲みながら、ゆるりとたわいもない話をしてる感じが好きです。
太田和彦先生の
先生のとつとつとした独特の語り口に引き込まれます。
あと三田村邦彦さんの
ツイーっと杯を空にする、飲みっぷりが最高です。
僕の場合はお酒が好きなのもあるけど、飲みに行っているときの居酒屋の雰囲気も好きなのかもしれません。
なかなか飲みにいけないので、こういったテレビ番組に救われていると感じます。
飲み会を断る辛さ
飲み会って時期によって集中するんですよ。
ただ、あまり過密するとよくないので泣く泣く断ることもあります。
ノンアルで頑張れよと思われるかもしれませんが、まわりが飲み放題してるところで我慢するのは、とんでもなく消耗します。
関係上、お酒を断れない飲みの席もありますから、不参加にするしかなかったりもします。
もともと下戸の人と違って、しかも病気でもない(今のところはね)ものだから、健康とアル中予防のために飲まないことについて、理解してもらえないこともあります。
本当は飲みたいところを頑張って我慢しているのに、そのことで付き合いが悪いと思われるのはとても辛いものです。
禁酒が難しい理由に確実にあると思うのは、人付き合いとお酒の縁が切っても切れない関係であることも大きいでしょう。
ストロング缶を、がぶ飲みしている人へ
飲み放題でイッキ飲みしている人もそうです。
あと仕事や人間関係などがしんどくて、その反動で大量飲酒している人も。
一生のうちに体に入れられるアルコール量は、有限であることをお伝えしたいです。
僕は20代のときに一生分のお酒を飲んでしまいました。
もっと大切に味わうべきでした。
いまは昔よりお金にも余裕があって、もっと色々美味しいものが飲めるはずなのに、でも体の問題で思うようにはお酒を楽しめていません。無念です。
僕のような思いをする人が一人でも減ることを願います。
【関連記事】
「月に何度か風俗に行っている」ということにしている。あぁ悲しき男性社会。
職場で「童貞いじり」する男性たちの深層心理 | 男性学・田中俊之のお悩み相談室 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
性経験の有無によって職場でいじられたり、仕事ができないレッテルを貼られるといったことが書かれていた。
この記事を見て思い出したことがある。
以前に、僕の場合はちょっと違うのだけど、40歳オーバー以上の年代の人からしょっちゅう言われていたセクハラ発言があって。
それはこんな会話内容だった。
「〇〇は彼女いるの?」
「いませんねー」
「まじか。じゃあココの(股間をポンとたたかれつつ)処理どうしてんの」
「はぁ、週末に風俗に」
「なるほどねー(納得感)」
(以下、どこがおススメだの何だという下世話な話題へ続く…)
と、まぁこんな会話だ。
アホらしいでしょ。
でも、他人に自慰の想像されるのは不愉快だからしょうがない。
(件の会話は、女性もいる前で聞かれたりする)
女性は気を悪くしないで欲しいのだが、男性の場合、奥さんがいる人は奥さんで処理してるという解釈を一応してもらえるので楽チンなのだけど、独り者はその辺のブランディングがすげー難しいのよ。
「いやー、すっかり性欲が落ちてきて」
「実はED気味でして」
「毎週末、風俗通いですよ」
このやりとりもう疲れたわ。
いい大人なんだからそういう話題に触れんなよ。
ちなみにこういう人には「彼女います」と言っても無駄なんだよね。
今度は、彼女についてセクハラまがいのことを聞いてきたりする。それはそれでめんどくさいし、絶対言いたくない。逆にいないと嘘をついていた時期もあった。
しかし、不思議と「奥さん」「子供を産んだ奥さん」となっていくにつれて、この手のオジサンたちの間では、興味がなくなっていくのか、格が上がって畏れ多くなるのか知らんが、セクシャルな質問はされにくくなるようだ。
不適切な発言かもしれないが、女性は性欲がないということにできるのが羨ましい。
男性でも、性欲がない、あるいはとても薄い人は結構いると思うのだが、セクハラ親父たちは、自分たちの性欲基準で物事を推し量るので、結婚もせず彼女もいない男性は、毎夜大変な苦労をしていると勝手に思い込んでいるらしい。
セクハラ被害は、女性だけの問題じゃないんだ、ってことをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。
僕は環境が変わって、そういった人たちとの縁は切れたけれど、世の中にはまだまだ不愉快な思いをしている人がたくさんいるんだろうと思う。
いっそのこと、公共の場でセクシャルな発言をすることを、歩きタバコみたいに条例か何かで規制して欲しいね。
選挙期間中は、人と会わないことにしている。
選挙がはじまると、いきつけのお店に行きづらくなる。
理由は公明党だ。
公明党というか創価学会だ。
いつもは気のいいマスターだが、選挙が近づくと某候補者への投票をお願いされてしまう。お願いのLINEがきたりもする。
僕はどこか特定の政党を応援しているわけではないので、マスターのお願いにのっかって公明党に投票しても別にいいと言えばいい。
でも、どうしても気持ち悪さを感じてしまい、協力する気になれずにいる。
そもそも飲食店などの店主が、特定の政権をプッシュするような話を積極的にするのは(自分の側から話すのは)、あまり良いことではないとされている。
当然、普段はマスターも政治の話など一切しないのだ。
しかし、そんな良識ある人に、公明党の〇〇さんに投票してあげてね、と非常識なお願いをさせてしまう創価学会という存在には、恐ろしさを感じずにはいられない。
選挙期間だけ別の人格が乗り移ったのかと思うほど、これまで積み重ねてきた文脈をまったく無視して公明党の応援トークをし始めるのがとても怖い。
もしも、僕が特定の候補者を応援することがあるとすれば、その人が実現しようとしている政策を素晴らしいと感じたときだろうと思う。
仮に友達に投票をお願いするとしても、ただ単に「投票お願い」とは言わないんじゃないかな。僕が逆の立場だったら、絶対納得いかないと思うから。せめて政策の説明くらいはするだろう。
というか「僕がお願いしたから投票してくれる」ことに対して、僕は違和感を感じてしまうのだろうな。もし投票してくれるにしても「お願いして⇒その相手が候補者について良いと感じて⇒投票する」。この流れであってほしいと思ってしまう。
知ってる人に勧められたので、"良いかどうかわからないけど"投票するというのが、僕には生理的に受け入れられない。
大事な決断を赤の他人に委ねることはしたくないし、決断を他人に委ねている人の価値観とも相いれないと思ってしまう。
と、ここまで書いて、右寄りな友人の顔も思い浮かんだ。
先ほど、ただ投票をお願いするだけは良くないと書いたが、政策について熱く語られるのも、それはそれで迷惑だった。むしろ投票をお願いされるよりもしんどかった。酒が非常にまずかった。
やっぱり選挙の話は家の外ではしたくないし、「もしも」とか「仮に」も考えたくない。他人に投票を勧めるのは嫌だし、そんなことを自分がやりはじめたら殺してくれと家族にはお願いしておきたい。
とにかく、これ以上、周りの人たちを嫌いになりたくないので、早く選挙期間が終わってほしい。
選挙期間は、政治に対してあからさまに無関心な人とだけ会うようにしている。
座りションの死角。
座りションの死角?どういうこと??
と思った、座りショニスタの奥様方も多いはず。
本日は、座りション歴10数年のキャリアを持つ僕が、座りションの死角について解説します。
※「トイレが汚れる!」と母親がワーワーうるさく、けっこう昔から我が家は座りションがルールとなっていました。いまは一人暮らしなので立ってしています。
座りションのほうが、トイレが汚れることがある
ところで、トイレの個室に入ったときに、便器の前あたりに小さな水たまりができていることありませんか?
写真の赤丸で囲ったあたりです。
なぜこんなところに水が?(´・ω・`)
と思いきや、あれ小便なんですよね。
お家の場合は、したに敷いているマットがなぜか臭くなったりしてませんか?
単なる尿漏れで汚してしまう人もいますが、実はそれだけじゃないこともあるんです。
座ってしてるはずなのに、どうして小便はこぼれたのか?
便器の構造に問題があります。
こちらの画像をご覧ください。
便座と便器の間にスキマがありますよね。
ここが座りションの死角なんです。
座ってオシッコさせるだけではいけない
便器に座っておしっこをするとき、手でホースをしっかりおさえてあげないと大惨事が起こります。
写真の便器のように前方部分にもカバーがついているタイプは、便座に浅く腰かけてしまうと、ホースの先がカバーの下に隠れてしまいます。
けっこう意識的に下の方向に放水してあげないと、、、
水の勢いでホースが立ち上がって、写真のように前方にジャーっと飛んで行ってしまいます。
こうして、本人も気づかないうちに便座と便器の境目からオシッコがこぼれてしまうんです。
床やマットの色によっては、オシッコがこぼれていても気づきにくいので、そのまま放置されることもしばしば。
公衆トイレでもけっこう出くわすので、座りションの死角に気づいてない人は世の中に多いと思います。
謎の水たまりがあると、次にトレイに入ったひとがビックリしてしまうので、みなさまもお気をつけくださいね。
「聞いたことあるわー」「流行ってるよねー」で、行動が止まってしまう人。
ふと思いついたので、備忘のためにブログに書き残しておきます。
書きたいことはタイトルの通りなんですよ。伝わりますかね。
以下に書く、「Aさん」のような人がたまにいませんか?
というお話です。
Bさん「〇〇行ってきたで」
Aさん「あ、そこね。さいきんテレビでやってたなぁ。新しく〇〇ができたんだよね」
Cさん「へーそうなんだ。知らなかった」
Cさん「○○食べてきたで」
Aさん「あ、そこ雑誌で見た!おいしそうだよねー。〇〇が名物なんでしょ」
Bさん「へー、そういうのあるんだ」
Dさん「〇〇買ったで」
Aさん「あ、それ家電ランキング1位のだよね。新しい〇〇機能がついてるやつ」
Bさん「へーそれって便利なの?」
- 情報感度の高いひとが、経験値も高いとは限らない
- スキマ時間に、グノシーとかスマートニュースを読んじゃう人
- 何でもいいので、好きなものについて30分語れますか?
- なぜ僕には、「本当に好きなもの」がないんだろう
- 興味のないことまで情報収集してしまう
- 情報のウィンドウショッピング、という趣味??
情報感度の高いひとが、経験値も高いとは限らない
Aさんって、見ようによっては「物知り」な人なんですよね。
どんな話題をふっても、一定量の情報はもっています。
でも、それは全部テレビやネットやSNSを通じた2次情報で、自分で実際に行ったり食べたり見たりした1次情報じゃないんです。
表面上は話が合うのだけど、結局、深い話にはなりません。すべての教科で60点という感じ。
スキマ時間に、グノシーとかスマートニュースを読んじゃう人
空き時間にグノシーとかスマートニュースのような、雑多なニュース記事を読んじゃう人はその傾向があるのではないかと思います。
いやいや、だいたい皆そんな感じだろう、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実はそんなことないのですよ。
ある人は熱心にゲームアプリで遊んでいたり、ある人はLINEに夢中になっていたり。ニュースを読んでいたとしても、それはスポーツに特化したニュースサイトだったり。
よく見ると、皆その人なりの趣味嗜好にそった時間の使い方をしているんですね。
とりあえずグノシーを立ち上げちゃう人は、自分はコレ!という趣味嗜好に乏しいのではありませんか?
いや、ここまで他人事のように書いといてなんですが、これ僕のことなんですよね。
何でもいいので、好きなものについて30分語れますか?
僕は無理ですね。
色んな物事の表面だけをペロリと味見してまわる人生を送っていると、何にも語れない人になっちゃうのだと最近気づきました。
ある人は阪神タイガースが大好きで、選手の名前もよく覚えているし、チームの歴史のようなことまで本当によく知っています。球場にもよく足を運んでいます。
初対面の人同士でも、趣味が合うと話が弾みます。
「好きなもの」があるとは、そういうことです。
なぜ僕には、「本当に好きなもの」がないんだろう
僕も好きなものはあるにはあります、一応。
たとえば「食べ歩き」。これはけっこう好きです。
でもね。本当に好きな人は一人でもガンガン行くじゃないですか。僕はいかないです。知り合いと予定が合わなければ、2週間くらい外食しなくても全然平気です。
だとすれば、これって趣味なの?本当に?好きなら我慢できなくなるもんじゃないの?とか思ってしまうんです。
映画も似たような感じです。音楽もだなぁ。読書も…、あ、ゲームもか…orz
興味のないことまで情報収集してしまう
どうやら僕の場合、情報を仕入れることに時間を使い過ぎて、情報を生かして体験するところまで気力が持ってないんですよね。
というより、そもそも情報の仕入れ方が、僕の場合はかなりおかしい。
- 通常 ⇒ おもしろい番組ないかな⇒エンタメ雑誌読む⇒じゃあこれを見よう!
- ぼく ⇒ さて今期はどんな傾向かな⇒なるほどねー⇒結局何も見ない
アホ。
ほんまアホです。
でも、僕にとってはこれが何より楽しい時間なのだからしょうがない。実際に、それでドラマをみても、僕はそんなに楽しめません。
というか、ドラマに興味がないくせにドラマの情報を取りに行く、というおかしなことをしているんですよね。しかも、どんなドラマがあるかを知ること自体は楽しい、という。もはや病気だ。
情報のウィンドウショッピング、という趣味??
思ったけど、これってウィンドウショッピングです。
買わない。見るだけ。見て楽しい。見て満足。
実際にそのバッグを使わなくてもいいんです。ただ見てるのが楽しい。色々なバッグがあることを見るのが楽しくて、それを使って何かすることにはそこまで興味がない、という。
あーこれだ。完全にこれ。
僕はウィンドウショッピングが好きなのかもしれない。
思えば、彼女の買い物につきあってウロウロするのが、僕は男にしては珍しく、とても大好きです。色んなものを見て回るのはすごく楽しいんですよ。
一方、映画見よう!ってなると、僕は急に主体性がなくなります。どんな映画があるか知ることに興味はあるけど、特に観たいものはありません。困った困った。
この妙な嗜好。仕事においても人格形成においても、けっこう致命的な欠陥ではないかと感じています。実際もうすでに生き辛さを感じ始めています。
みなさんの中にも思い当たる方がいたりしないでしょうか。
周囲にはそういう人がいなくて不安に感じています。
座る権利を譲っているのだから、電車で席を譲る人は偉い。
電車で、お年寄りに遠慮して始めから座らない若者が褒められないのは不条理じゃない?という話 - Togetterまとめ
こんなまとめがあって、面白い視点だと思った。
おおもとのツイートはこちら。
たとえば電車でお年寄りに席を譲った若者は褒められても、はじめから座ることを遠慮して立っていた若者は褒められたりしないん たとえばトラブルを回避し続けるより、起きたトラブルを処理したほうが腕が良さそうに見えるん こうして気が利きすぎる人は、普通に気が利く人に手柄を横取りされているん
— アミエッタ (@kirietta) 2017年8月3日
でもこれは間違いだと思う。残念ながら。
電車で座っている人は、その時点で「座る権利」を手に入れている。
その若者は、お年寄りに「座る権利」を譲っているわけだから、これは偉いよ。
相手に価値を提供してるわけだから。
でも、最初から立ったままだった人は、そもそも「座る権利」を持ってないんだよ。だから何も偉くない。ただ座る権利を放棄したプアでしかない。
たとえ話で、わざと問題を起こしてから対処する人が評価されることと同列に話している人がいるけれど、それと同列に語るのは大きな間違いだと思う。
なぜなら仕事の場合は、その人は意図的にマイナスのことをしてるわけでしょう。
これはただ単に、ずる賢い社員のマッチポンプを見抜けない評価制度に落ち度があるのだと思う。
しかし電車の件は、立っている人にも座っていた人にも落ち度はない。
ただ、座っていた人は「座れる権利」を有しており、立っていた人は「座れる権利」を有していなかったというだけの話だ。
最初から立っている人が褒められることは絶対にないし、立っている人が「気の利く人」であるはずもない。
本当に気の利く人ならば、むしろ積極的に席に座っておくべき。
そして、ご老人が乗車してきたらすかさず、
「殿、席を温めておきましたぞ!」
と秀吉のごとき勢いで、座る権利をお譲りせねばなりませぬ。
だから席を譲った人はとても偉い。
天下人になれるくらい器の大きな、素晴らしき御仁なのでありまする。
ラーメンの注文すら、まともにできないオジサン会社員は大丈夫なのか。
昼。ラーメン屋。
僕がいくと、なぜか変な客に恵まれるんだよなぁ。今日もそうでした。
50歳くらいかな。
コッテリ脂ののったワイシャツ姿のオジサンがいました。
オジサンはラーメンが運ばれてくると、ふつうに食べ始めたのですが、途中で店員さんを呼んでキツめの口調でこういうんですね。
「これって××××ラーメンじゃないの? いつもと具が違わない??」
その店は、具材の違った似たような名前のラーメンがいくつかあって紛らわしいのです。
(あちゃー、オーダーミスかぁ)なんて、最初、僕は思ったのですが、店員さんがオジサンから預かった食券を見せて、オジサンの注文がそもそも間違っていたことを指摘します。
そこからのオジサンの反応が何というか。
残念すぎて、がっかりですよ。
「ん? あぁそう…」
おー。おー。
オジサン、それだけか。
ごめんね、勘違いだったわー。
の一言くらい言えないもんかねぇ。
見た感じ、役職のあるような雰囲気でもないし、こういう人って会社でどういう立場でどんな風に仕事してるんだろう、と心配になりました。たとえば、何かミスしたときは、どうするんだろうねぇ。
ただまぁ、僕がこのオジサンは致命的に仕事のできない人なんだろうなぁと思ったのは、謝るかどうかではなく、自分の注文間違いに気づかなかった点にあるんですよね。
「いつもと具が違わない??」
と言っていたことから、何度もこの店で同じラーメンを注文していることが伺えます。
だとすれば、食券機で値段の違いに気づくはずだし、いつもとボタンの押す位置が違うことにも違和感を感じるはずだし、おつりの額が違うことにも気づくはずなんですよ。
なんなら今回間違って注文したのは金額3ケタだが、いつも注文してると主張しているラーメンは値段4ケタなんですが…。
少なくとも3回は、間違って食券を購入していることに気が付くチャンスがあったはずなんですよ。このオジサンには。
でも気づかないんです。
で、店員さんを呼びつけてガツン!とクレーム入れて、自分が間違っていても謝りません。
もうね。ありえない。
たかがラーメンでそこまで言うのはおかしいんじゃないの?
と思われるかもしれませんが、けっきょくのところ地頭ってそういう所に出ると思いませんか。
ふつうの人なら間違って押したことに気づいて店員さんに声をかけるか、めんどくさいからそのまま食べるかするんじゃないですかね。
こんなオジサンの下で働く若い子は、本当に可哀想だと思います。
というか、いったいこんなオジサンを雇っていられる余裕のある会社って、どんな会社なんでしょうね。
少なくとも僕の周りにはいないし、いたとしても不可視の力によってどこかに消されてしまいます…(´・ω・`)
うわっ…人材不足でバイトのクオリティ下がりすぎ。
人手不足だ。
バイトが足りない。
って言われても、どこか他人ごとだったんだけど、ついにバイト不足が自分の生活にも影響しはじめました。
これはいよいよ来るところまできたね。
<某ラーメン店>
私服の男性が入店。
店員:細麺と太麺どちらにされますか?
男性:中麺で
店員:細麺と太麺どちらにされますか?
男性:中麺で
店員:細麺と太麺どちらにされますか?
男性:中麺で
店員:細麺と太麺どちらにされますか?
男性:あ?あぁ、、、じゃあ細麺で
店員はドラクエのNPCかよ!
同じ質問をループすな。
あと中麺ってなんだよw
てか、お客もメニューくらい見なさい。
<某コンビニ>
*Day01
僕:アイディで払います
店員(佐藤/仮名):エディですねー
僕:すいません、アイディです
*Day02
僕:アイディで払います
佐藤:エディですねー
僕:すいません、アイディです
*Day03
僕:ア・イ・ディで払います
佐藤:エディですねー
僕:すいません、アイディです
*Day04…
*Day05…
*Day06…
すいません、アイディです…
どうやら我々は、同じ一日を何度も繰り返しているらしい…。
(んなわけない)
<某居酒屋>
僕:(呼び出しボタン押す)ピンポーン
店:・・・・・・(返事がない)
僕:(呼び出しボタン押す)ピンポーン
店:・・・・・・(返事がない)
僕:(呼び出しボタン押す)ピンポーン
店:・・・・・・(返事がない)
僕:(呼び出しボタン押す)ピンポーン
店:ご注文お決まりですか?
決まってるよ!
とっくの昔にな!!
<某カレーライス店>
電話:プルルル
電話:プルルル
電話:プルルル
僕:はやく出ろよ(イライラ)
電話:プルルル
僕:(イライラ)
電話:プルルル
僕:お電話ありがとうございます〇〇です。
と電話をとる幻覚が見え始めたところで、電話が鳴りやんだ。やれやれ。
世の中には、鳴り続ける電話音がトラウマの人もいるんだぞ。
というかランチタイムに電話出られないなら、受話器あげときなさい。
人気店はそれ、けっこうやってるからさ。TEL音って、すっごく不快。
<某コンビニ>
店員A:ふ、ざ、けん、な、よ!!!
僕:(驚!!!!!)
店員B:あ゛?んだとこのやろう!!
バンッ!!!!(何かを激しく蹴りつける音)
僕:(お荷物受け取りレシートを、ぎゅっと握りしめて立ちすくむ)
僕:(バックヤードでやれよ…。)
(後日)
チャラララララン♪ チャララララン♪♪
店員A:いらっしゃいませ
クビになってないんかい!
人材不足すぎやろ…。
<某居酒屋>
僕:どうもー2名いけますか?
店長:すんません。今日バイトが全員、急に来なくなって臨時休業なんです…
僕:あぁ…わかりました。また来ます。
店長カワイソス(´・ω・`)
*
すべて実話。
人材不足が深刻。
大学生は勉強なんてしなくていいから、もっとシフト入れてくれよな。
オラたち社会人のためにさ。
障害者差別解消法は、障がい者に試練を課している。
木島氏の関連記事をみて悶々と考えました。
とりとめない感じだけど、書きます。
- 木島氏の主張は法律で認められている
- 障がい者にどのくらい配慮すべきか、基準があいまい
- 健常者には合理的配慮が求められ、障がい者には自分の意思を伝える努力が求められる
- 障がい者を、腫れ物あつかいする社会
- 無理なことは無理と、障がい者に率直に言える社会になって欲しい
- 障害を、なかったことにはできない
木島氏の主張は法律で認められている
2017年現在、日本ではいわゆる障害者差別解消法というのが施行されており、国民は障がいのある方に対して、合理的配慮をすることが求められています。
今回の件では、この法律があることを知らずに木島さんを叩いている人もたくさんいたような気がします。僕も最初は法律の存在をよく知りませんでした。
◎合理的配慮に関する内閣府の資料はこちら
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/gouriteki_hairyo/print.pdf
資料のなかに、合理的配慮について説明された箇所があるので引用します。
障害のある人は、社会の中にあるバリアによって生活しづらい場合があります。この法律では、役所や事業者に対して、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)を求めています。
負担が重すぎない範囲で対応、
読んでいて「ん?」と引っかかりそうな部分については、こんな説明があります。
重すぎる負担があるときでも、障害のある人に、なぜ負担が重すぎるのか理由を説明し、別のやり方を提案することも含め、話し合い、理解を得るよう努めることが大切です。
たとえば、従業員が少ないお店で混雑しているときに、「車いすを押して店内を案内してほしい」と伝えられた場合に、話し合ったうえで、負担が重すぎない範囲で、別の方法をさがすなどが考えられます。その内容は、障害特性やそれぞれの場面・状況に応じて異なります。
障がい者にどのくらい配慮すべきか、基準があいまい
内閣府のページには、配慮の個別事例なども掲載されており、そちらにも目を通してみました。
ただ、日常の中で、各人がおかれたシチュエーションは千差万別ですから、どこまで配慮してもらうのが正当か、あるいは配慮せねばならないかの線引きがとても難しいと感じました(線引きが曖昧だからこそ、問題になってしまうのでしょうが)。
上記の飲食店の例では、混雑時には「別の方法をさがす」ことも選択肢として提示されているものの、別の方法をとるためには「話し合う」こともセットで語られています。
これ、混雑時にその場で話し合うくらいなら、車いすを押して案内しちゃったほうが速いですよね。
つまり、この場合の「話し合い」というのは、必ずしも、その場でリアルタイムで話し合われることを想定していないのだと思います。
障がいのある方が生活の中でバリアを感じたとき、そのバリアがその場で直ちに解消されるのが理想ではあります。でも、現実には難しい。
だから障害のある方は、予測できる範囲で役所や事業者に対して、事前に意思を伝える必要があるのです。
あらかじめ伝えず、ギリギリで伝えれば伝えるほど「負担が重すぎない範囲」は狭まってしまいますから仕方のないことです。
健常者には合理的配慮が求められ、障がい者には自分の意思を伝える努力が求められる
今回バニラエアの件では、木島氏は事前に連絡すると搭乗を拒否される、と考えて事前連絡をしませんでした。
伝える前から無理だと自己判断して、意思決定をしました。
この行動は、内閣府の資料に書かれていた「話し合い」を放棄している姿勢だと思います。
夫が転勤や転職について、妻に相談せず事を進めるのに似ているかもしれません。
どうせ妻に相談したら止められるだろう、だから決まってから事後報告したんだよ。というわけです。
木島氏からすれば、健常者はわざわざ連絡なんて必要としないのに、なぜ障がい者だけ事前連絡が必要なのだ、おかしい。
ということなのでしょうが、これは企業が合理的配慮を行う上で「重すぎる負担」にならない範囲で対応するためにこうなっているわけです。
JALやANAは対応してくれたとしても、格安航空会社にとっては些細なことでも重すぎる負担になり得るのだと思います。
たしかにバニラエアがバリアフリーに対する体制を構築できていなかったことは、企業としての課題でしょう。これは間違いありません。
でも、そのことと木島氏が事前連絡しなかった(意思を伝えることを放棄した)ことは別に論じられる必要があります。
障がい者は、バリアを感じたらその意思を伝えて良いとされています。意思を受けて役所や事業者は対応することが求められています。
障害者差別解消法は、障がい者に寄り添った法律である一方で、何も主張せずとも阿吽の呼吸で上げ膳据え膳とはいかないよ、というある種の試練を障がい者に与えてもいるのだと感じます。
国は、障がい者に自らの意思を主張することを求めています。自分の抱える障害についてプレゼンせよ、というわけです。そのためには、障害と深く向き合わざるを得ません。ある意味、とても重い要求です。
障がい者を、腫れ物あつかいする社会
僕は正直に告白すると、障害のある人と接するのが苦手です。
たとえば、目の前に障害のある人がいて、僕はその人とそんなに積極的に関わりたくないと思っているとしましょう。
このとき、単純に「趣味や性格が合わなさそうだから」あまり関わりたくない、と僕が思っていても、社会はそうだとは見てくれません。
あいつは障がい者を差別した!と非難されてしまいます。こういう風潮が、僕はすごく嫌いです。
だから障がい者の人に関わるのが僕は怖いし、できるだけ避けたいと思ってしまっています。
これは障がい者の人が悪いのではなくて、僕も含めた周りの意識がそうなっていることが問題です。障害者に対して変なところで過保護になっているんです。
無理なことは無理と、障がい者に率直に言える社会になって欲しい
今回のバニラエアの件で言えば、木島氏の行動は非常識だと思います。クレーマーとまでは言いませんが、少なくとも「駄々っ子」のようには感じます。
そういうときに、はっきりと「無茶いわないでくださいよ」と、障害のある人に対しても当たり前に言える社会になって欲しいです。
僕は、健常者側はすべてを無条件に受け入れる必要もないし、断ることに負い目を感じる必要もないはずだと思いたいです。
無理なことは無理と、相手に率直に言える社会になって欲しいと思っています。
そうなれば、お互いがもう一歩進んだフェアな関係が築けるような気がしています。
(一部のひとたちの間では、築けている関係なのだと思います)
内閣府の資料には、こんなことが書かれています。
この法律を進めることで、障害のある人とない人が実際に接し、関わり合う機会が増えると思います。こうした機会を通じ、障害のある人とない人が、お互いに理解し合っていくことが、「共生社会」の実現にとって大きな意味を持ちます。
夫婦がケンカするように、健常者と障がい者もお互いの主張をぶつけあっていかないと、「共生社会」は作れないと思います。
僕は、今回の木島氏のスタンスはNoだと思います。
飛行機には乗れるようにした方がいいと思うけれど、自分の欲求を相手に伝えることから逃げたのは間違いだったと思います。
障害を、なかったことにはできない
酷かもしれないけれど、障害は乗り越えることはできても、最初からなかったことにはできないものです。だから障害なんです。国から補助も出ます。
トイレに行くのに助けを借りることも、飛行機に乗る5日前に連絡が必要なのも、すべて必要なことです。生きていく上で、ショートカットできないことなのだと思います。
そして、我々健常者はそういうアクションをきちんと受け止めていく必要があるのだろうと思います。しかし、障がい者の行くところ全てに先回りして、障害などないかのように事前準備し振る舞うことまではできません。
先日、買い物していたら、棚の上にある商品をとって欲しいと見ず知らずの人にお願いされました。手が届かなかったんですね。僕は商品をとって、その人に渡しました。
別の日、街中で道をきかれました。僕は急いでいたのですいませんと断りました。
お願いする側に負い目はないし、手伝う側にも特別な感情はありません。どちらも自然なやりとりでした。助けたから善というわけでもないし、断ったから悪というわけでもありません。
障がい者に配慮することに対しても、こんな風に何の文脈も意味も発生しない社会になって欲しい。それがバリアフリーなのだと思います。
佐川急便のひとが、全員クロネコヤマトに転職したら、物流業界のパンク状態が緩和されるかもしれない。
荷物を受け取るぼくも辛い。
しかし、宅配してくれる佐川のスタッフの方は、おそらくもっと辛いだろう。
日時指定のない郵便物が平日の昼間宅配された。
仕事に出ていたぼくは、受け取ることができなかった。
ポストに入っていたご不在連絡票に書かれた追跡ナンバーを使って、休日に再配達の依頼をかけた。
荷物が届くであろう休日。
荷物が予定どおりに配達開始しているか確認するために、追跡画面に入った。
そして、配達履歴を見て愕然とした。
ぼくは週の半ばに再配達の依頼をかけたはずだが、その日以降、毎日、荷物を持ち出しては持ち戻りしている。
どういうことだ。
受け取り指定は週末だが、運よく家族のだれかが在宅していたらラッキー!とでも考えたのか。
んなわけあるか。ぼくの住んでいるマンションは、とてもじゃないが家族で住めるような物件ではない。
確かめたわけではないが、単身世帯率100%と言っても遠からずだろう。
狭いワンルームであるし、築年数も古い。
専業主婦がいるくらいゆとりのある世帯なら、もっとマシな部屋に住むだろう。
子育てが無理ゲーであることは言わずもがなだ。
そんな物件であるからして、不在は誰の目にも明らかであるのに、配達員は、毎日、宅配と持ち戻りを繰り返している(世の中には平日に休みの仕事もあるが、比較的街中の物件なのでオフィスワーカーの可能性は高いと予測できるはずだ)。
このようにユーザーの与り知らぬところで、ヘイトが蓄積されていっている。
怒った佐川のドライバーが荷物をぶん投げる動画が記憶に新しいが、無理からぬことだ。
一方、ライバルのクロネコヤマトも増える荷量に人員が追いつかず、厳しい状況が依然続いている。
しかし、クロネコヤマトには、まだ「効率的にやろう」という意思の光が見える。
クロネコヤマトの場合は、荷物が出荷されたらLINEにお知らせが入り、宅配時間や曜日を変更することができる。
万が一受け取れなくても再配達指定をすれば、その日にピンポイントで配達をしてもらえる。
個人的な体感値だが、佐川急便の荷物は1発で受け取れる確率が10%未満であるのに対し、クロネコヤマトの荷物は99%の確率で1度で荷物を受け取ることができている。
いちユーザーのぼくから見えている世界が、その全てでないことは承知の上だが、どちらが生産性が高い動きをできているかは明らかだろう。
佐川急便の従業員数は2017年3月時点で「47,597人」らしい。
この5万人近い、非効率的な働き方を強いられている人たちが、全員クロネコヤマトで働くだけでも、物流業界の生産性は劇的に向上するのではないだろうか。
いくつかの求人サイトを見たところ、クロネコヤマトはドライバーを大量募集している。
佐川は法人向けの営業職など、ドライバー以外の採用に力を入れているように見える。
自前の物流すら満足に効率化できていない佐川が、企業向けに物流ソリューションを掲げてCMなども流している現状に、ぼくは失望しか感じない。
佐川急便はまず、自社のいけてない荷物管理システムをソリューションするところから、始めるべきではないだろうか。働く人たちのためにも。
<関連記事>
Amazonのせいで、荷物の受け取りに罪悪感を感じるようになった。
痴漢冤罪保険が、なんの保険にもなってなくて笑えない。
線路内への逃走は死を招く? 加入者が増加する「痴漢冤罪保険」 - ライブドアニュース
痴漢冤罪が社会問題になっているそうで。
そんな時勢にあわせて、「痴漢冤罪保険」なるものがリリースされて好評を博しているというのだが、ちょっとまて。
これ全然、保険になってないぞ。
保険の内容はこうだ。
この通称「痴漢冤罪保険」とは、万が一、痴漢の疑いがかけられた際にスマートフォンなどで通報すれば、全国各地に点在する提携弁護士陣に一斉の緊急メールが届き、最寄りの弁護士が駆けつけたり電話相談に応じてくれるというもの。
具体的な保険特典の内容は、事件発生後48時間以内の弁護士費用(相談料、接見費用、交通費などを含む)が全額補償される。
つまり、冤罪現場で、すぐに弁護士に相談でき、費用の心配はナシ、っと。
費用が心配なんじゃないYO!
衆目にさらされながら、駅員に犯罪者扱いされて、場合によっては正義漢づらした野次馬たちに押さえつけられて暴行されることが心配なの!
というわけで、痴漢冤罪時のシミュレーションをしてみよう。
女性:「この人、痴漢です!!」
俺:(なにぃぃぃぃぃ!!!!)
女性に腕を掴まれ、周囲の大人にホールドされて駅に引きずり出される。
そこで俺は颯爽とスマホを取り出し、保険会社にTELを…
出来るわけねーー!!!!!!
だって拘束されてんだよ。
容疑者にさせる電話などないわけだよ。
警察なんてあっという間に来る。
それでジ・エンドさ。
痴漢冤罪において、もっとも守りたいのは、自分の名誉と尊厳である
痴漢というのは大変に不名誉な罪状だ。
性欲が垂れ流しになっていて、みっともない印象を受けるし。
この人、モテないの?キモっ!とか思われたりするし。
「あーやりそうな顔だわー」とか無責任な中傷受けそうだし。
会社にバレたら首だし。
結局、やったかやってないかは闇の中だから、「実は本当にやってたかも」疑惑が残り続けるし。
疑われたが最期、痴漢はその人の経歴に、消えない傷を残す。
痴漢冤罪は毒矢だ。
かすったら終わり。
なんなら一般人には避ける身体能力ないから、撃たれた時点で終わり。
痴漢よー!⇒人生\(^o^)/オワタ、である。
*
痴漢冤罪、というかそもそも痴漢自体が、電車が混んでるから起こる犯罪だと思うので、国や地方には、時差出勤とかリモートワークとか企業の地方分散とか、そっち方面を頑張っていただきたいと切に願う。
サシ飲みで、フライドポテトを注文するのはやめて欲しい。オッサンからのお願いだょ。
上司との飲みでフライドポテトを注文したら「いつまで学生気分なんだ」と怒られた 一体何がいけなかった? | キャリコネニュース
上司と飲みに行ってポテトフライを注文したら怒られた。
というネタ記事をみつけたのだけど、よく考えたらネタでも何でもなく、オッサン予備軍からしたら、
「そりゃ怒るわな」
事案だったので、なぜポテトフライを頼むといけないのか真面目に書いておく。
同じことされると、全国のオッサンたちが悲しむので、みんなよく読んでね。
オッサンは、女子と同じだと思え
若いやつらに言いたい。
基本、オッサンは女子と同じだと思え。
オッサンちゃんは、色んなものをちょっとずつ食べたいの!(`・ω・´)
ポテトフライは、基本的にでてくる量が多いんだよ…。男子校かよ。体育会かよ。マジでありえない。
若い人にとっては「コスパがいい」ってことなのかもしれんが、健康不安で胃袋縮小傾向にあるオッサンたちには、逆に「コスパ最悪」となる。
オッサンにとってコスパがいいメニューとは、あまり腹がふくれないわりに、食べたときの満足感が高いメニューのこと。
たとえば肉なら、カルビよりランプなど赤身の肉のほうがいい。
寿司もシャリは小さめがいい。
オッサンたちが湯豆腐大好きなのは、腹にたまらない上にウマくてヘルシーで、その上リーズナブルだからなのだ。
個人的には、サシ飲みでなくとも、飲み会で勝手にポテトフライを複数オーダーするやつには殺意を覚える。
帰りがけに、けっこうな量のポテトフライが残っているのを見るたびに、
「ほーれ、いわんこっちゃない…(´・ω・`)」
と心のなかで、キッチンスタッフに謝罪して店を出るのだ。やれやれ。
ポテトフライが食いたきゃ、マックランチで食ってろ!
オッサンだって、そりゃ、ポテトフライくらい食べるよ。
ただし昼飯にな。
マックランチでワンコインだ。
ポテトMサイズ。
正直、けっこう腹に来る。体調の悪い日には、営業中に気分が悪くなって、コンビニのトイレにかけこんだ経験も一度や二度じゃない。
でも、無性に食いたくなるときがある。わかる。
ポテトフライは旨い。
しかしな。
飲み会ってのは「The居酒屋メニュー」を堪能できる貴重な機会なんだ。
刺身で一杯。
焼き鳥で一杯。
モツ煮込みで一杯。
これがいいんだ。
ポテトフライじゃ、オッサンの疲れは癒えないのさ。
さいごに
オッサンからのお願い、理解してくれただろうか。
オッサンはさ、女と一緒で、いろいろめんどくさいんだよ。
カラダもきちんとケアしてあげなきゃ、すぐガタが来るしさ。
酒だけでもそこそこ負担なのに、さらに一緒に糖質・カロリーMAXのポテトなんて食ってらんないのよ。
確かに、注文した後輩に怒るのは大人げないと思うけど、でも、それくらい深刻な問題だってことをわかってあげて欲しい。
頼むよ。